月刊ライフビジョン | 家元登場

クラシックの手ほどき

奥井 禮喜 

ラウンジのBGM

 物心ついて以来、趣味らしい趣味ももたず退屈もせずに70余年暮らしてきた。2011年7月からはテレビも見ていない。たまにBC級レストランに入って、テレビがつけられているのは好ましくない。お店はサービスのつもりだろうが、わたしは全然見たくないのだから大迷惑である。とはいえ「消してくれ」とは絶対に言わない。昔、一流ホテルのメインバーでの体験だ。客はわたし1人だ。静かなひとときを楽しみたいのにBGMがどうも気になる。若いバーテンダーに「すまないが、音楽を消してくれませんか」と言った。氏は「音楽でもなかったらわたしは退屈でたまりませんよ」と応じた。なるほど、わたし1人相手では所在ないだろう。そうか、BGMは客のためだけではないのだ。数年後、氏は黒服になった。この話をしたら「わたしがそんなことを言うわけはありません」と躍起になって否定したが、若き日の氏の一言を、わたしは決して忘れず自戒している。

バルコニー席の客

 事務所から近距離に東京オペラシティがある。数年前から東京交響楽団の東京オペラシティシリーズの年間チケットで年数回の公演を聴くのが楽しみである。これは最優先で他の日程は入れない。座席は2階席のいちばん前で演奏者を上から眺められる。1階席だといちばん上等の席でも指揮者の背中しか見えないが、ここでは指揮者の表情や動きがきっちり見られる。演奏者も然りである。ざっと2時間、指揮者にせよ、演奏者にせよ、妙なる音楽をつくるために全身全霊を打ち込んでおられて、汗の飛び散るのが見えるようである。聴衆は演奏に心も体も委ねて至福のときを味わうのであるが、舞台で展開されるのは格闘技である。楽譜をめくる動き1つを見てもまったく無駄がない。自分が講演でメモを見るのにあたふたしているのは、とてもプロとは言えない。楽団の凄まじい緊張感と生み出される音色にとろけそうな気持の2つを、わたしはいつも味わっている。

チューニング

 見たくないけれども目に入る光景もある。1階の上等な席に鎮座まします聴衆がどうしても目に入る。最上等席の1人が、演奏開始からほどなく眠りはじめ、椅子の背にのけぞるようにして熟睡なさる。ポカっと口を開けているのがどうしても目に入る。この1年、いつも同じ席であり、必ず来ておられるから、やはり年間チケットの客なのだろう。たまたま、友人か誰かにチケットをもらって、「クラシックは苦手なんだけれど」来場したとは考えにくい。周辺の方々はイビキが聞こえていないであろうか。自分が、直ぐ近くにいたらとても我慢ができない。ひょっとすると、不眠症にかかっておられる。医師が音楽療法を進言した。医師の進言が当たって、熟睡を楽しんでおられるのかもしれないなあ。ならば、格別上等な席でなくてもいいじゃないか。とかなんとか、詰まらないことを考えてしまう。聴衆が熱烈拍手するとき、氏は居心地よろしくない表情である。奇妙な光景である。

クラシックの手ほどき

 わたしがはじめて洋楽古典を聴いたのは、小学校5年生だったと思う。SP――1分間78回転のレコードで、音は固く、キンキンして、おまけに古かったので雑音も聞こえた。担任の音楽先生はうっとりと聴きほれておられて、終わると「誰か、感想を」と言われた。とてもじゃないが感想を語られるような気分ではなかった。で、先生ははっきり失望の表情をされた。わたしらも、そういう表情をしていたのに違いない。高校を出て就職し、2年目に新築単身寮に入った。12畳3人、わたしの部屋は大卒2人とわたしである。Mさんは大のクラシックファンで、当時、垂涎の的である三菱ダイヤトーンスピーカーを購入されていた。某日夜、ベートーベンの「月光ソナタ」を聴かせてもらった。寮の玄関の屋根が月の光を反射していた。美しい音色であった。それから半世紀以上が過ぎた。いい音楽を聴くと、いつもMさんと2人のレコードコンサートを思い出す。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人