みんなのコラム

裸婦のデッサン

POOH

 今回のスクーリングは裸婦の木炭デッサンである。モデルさんは1ポーズ20分で5分の休憩を入れて、それを同じポーズで1日に16回。まる2日間ずっと続けるのだから大変な重労働である。学生も疲労困憊。何故、そこまでして裸体を凝視しながら、柳の小枝の炭の粉を紙に擦り付けてひたすらデッサンするのか・・・。

 人物を描く場合、一番シンプルなのが裸体である。しかしシンプルであるが故に誤魔化しがきかない。骨格の位置とバランス。筋肉の凹凸。それを覆いながら感じさせる皮膚。それらは複雑な面で構成され光と陰でしか表現できない。空間を考慮しながらそれを画面にどの様に配置するか。「造形」を志す者は洋の東西を問わず、こうしたデッサンを繰り返して表現技術を磨いてきた。だから大学の授業で裸婦をデッサンするのである。

 一方、純粋な「造形」の世界とは別次元のところに「女性の裸」に対する偏見がある。私の描いた裸婦デッサンを小学生の男の孫に見せたら、「ジイジ、エロイ」と言われた。やはり子どもには見せるべきではないのだろうか。
 ギリシャ彫刻やルネサンス時代の作品は別にしても、近代以降のピカソやモジリアニ、ムンクなど多くの有名な画家たちは「娼婦」をモデルにして「女性の裸」を描いている。またフェミニズムをテーマとした前衛芸術家の(性器を連想させる)グロテスクな作品が社会的評価を受けている。どうやらこの問題は「表現の自由」の意味や、近代以降に成立した「社会学」から紐解いていく必要がありそうだ。

pooh  ktaj1979@olive.ocn.ne.jp