みんなのコラム

私の恩師

POOH

 私が本格的に絵を描き始めたのは群馬県立桐生工業高校・美術部の頃からである。その時の顧問が有村真鐵先生であった。先生は自由美術協会の画家であり、絵をどう描くかという技法のことより、「何故絵を描くのか」といったことに重きを置かれていたように思う。

 工業高校の生徒は、卒業後社会に出るという漠然とした不安と高揚感が入り混じって、美しい風景画などとは程遠い、暗い画面の絵が多かった。有村先生はそうした若者たちを、美術の世界を通じて自立へと導いてくれていたように思う。私は卒業後も絵を描き続け23歳で自由美術協会の会員となった。しかし結婚して生活が変化し、労働組合運動の道にも入り、徐々に絵の世界からは遠ざかっていったのである。

 今年3月の個展で、私が再び絵を始めたことを目に留めていただいて、今回自由美術群馬展にお誘いを受けた。そして実に30年ぶりに恩師・有村先生と再開したのである。今年88歳になる先生からの再会の一言は「でっかくなったなぁ」であった。
 私が定年後に武蔵野美術大学の通信で学んでいることを耳にされていたようで「これからまたじっくりと絵を探求してゆきたい」というと、「あっという間に歳をとるぞ」と笑いながらプレッシャーをかけてくれた。その先生の顔は高校時代のあの時のままであった。

pooh  ktaj1979@olive.ocn.ne.jp