月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

ありがとう — 闘病終えた父に

渡邊隆之

 この月刊ライフビジョン3月1日号で取り上げた筆者の父について、少し書き加えておきたい。

 昨年末に腸閉塞が原因で近隣病院に入院したが、医療付き介護施設に移るため、CVポートの増設を行い、なんとか4月22日に退院するところまでこぎつけた。退院後は訪問診療を受けつつ体調を整え、リハビリを続けていた。

 5月17日に容態が急変、隣町の病院に救急搬送され1週間後に息を引き取った。死因は菌血症と肺癌だった。父は50年前に煙草をやめている。それでも癌に冒されたというのは、経口摂取ができず体がよほど衰弱していたのであろう。なにしろ90歳で4カ月の入院中に65kgから45kgへと20kgも体重が減っていた。しかし、腸閉塞で入院して40日間で要支援1の父がいきなり要介護4になるとは想像もしていなかった。

 街を歩いていると、父よりも覚束なく歩くお年寄りを頻繁に見かける。父はもっと生きられたのではないかと、悔しい思いも正直あった。しかし、若い人が交通事故で亡くなったりもするのだから、人の命の長さは結局は“運”の問題ということになるのだろうか。

 父の亡骸が自宅に移送され、ご近所のお知り合いやギター・ピアノ・ビデオ編集など趣味のお仲間が弔問に来られた。弔問客の方々も父より若いとはいえ、70代、80代の方が多く、立ち上がるのも大変な中、ゆっくりゆっくりお線香をあげてくださった。またご自身の闘病のことやご家族の介護のことなどを話していただいた。そして、皆さんが「この人はすごく頑張る人だったんだ。」という言葉が身に沁みた。

 最後の病院に救急搬送された際、貴重品としてスマホも家族に返されたが、その中には前の病院でのリハビリの写真や動画がいくつも残されていた。

 今は個人情報の管理にうるさくなっているため、自治会といえども訃報回覧はなく、また家族葬が多いので、亡くなって何年か後に事実を知るということも多いようである。

 最近もご近所に、「旦那さん最近見かけないですね。お具合でも悪いんですか。」と尋ねると、3年前に他界したと聞き、ひどく驚いた。近くに住んでいるのに状況が大きく様変わりしていて浦島太郎になった気分である。そのような状況なので「よくぞ知らせてくれた」と快く駆け付けてくださる方もいた。

 父が救急搬送されて視線が合わない状況になってから、筆者の感情も壊れてしまい、翌日は無意識に涙が流れ続けた。涙が塩辛いものだということを改めて認識させられた。

 最近の新聞では、少子化対策と銘打って財源を高齢者が負担すべきとの論調が強いが、今回の弔問客と接し、肌で感じたことは、高齢者の方々もやっとの思いで日々の生活を送っている。在宅診療や訪問看護なども充実してきてはいるものの子供や孫世代のケアの負担もまだ大きい。徒に世代対立を煽り、一方に費用負担させるということでは根本的な問題解決につながらない気がする。

 父が病院や介護施設へ移って5か月が経った。家の中での父のいない生活は少し慣れてはきたが、親族や親しい仲間はいて当たり前でなく、存在が奇跡で“有難い”ものなのだと再認識した。だから、日々周囲には感謝したいし、有難うと言いたい。

 世の中は徒に不安を煽るばかりで、問題解決についての真摯な対応がなされているのか疑問符のつくものもある。将来のためにこそ、現在を丁寧に過ごし、積み上げていきたい。

 父の亡骸は5月24日に病院から自宅に戻り、5月28日の霊安所への出発まで家でゆっくりしてもらった。入院中に懇願していた卵のおじや、オレンジジュース、番茶、ジャムパン、苺などを供えた。もう嚥下障害を気にしなくていいので、大好きなコロッケ、切り干しだいこんなどもお供えし、出発の前日と当日は筑前煮やカツ煮なども入れて手料理でもてなした。病院で見られなかったプロレスや野球中継も一緒に観た。出発当日は、父の生前ピアノのレパートリー曲も流れる、天然色映画「愛情物語」を堪能してもらい、JAZZやムード音楽を沢山聴いてもらって送り出した。


 渡邊隆之 ライフビジョン学会会員