論 壇

青年の可能性について

「青年」が輝いたころ

 昔、おおくの労働組合には青年婦人部という機構があった。賃金対策部、福祉対策部、組織対策部、教育宣伝部などと並んで、組合活動の一翼を担っていた。というか、主として文化・レクリエーション活動をおこなうので、たくさん人が集まるのは青年婦人部活動である。メーデーのプラカードやデコレーションを制作する実働部隊も主として青年婦人部が担った。

 1960年ごろまでは、組合主催の成人式が開催されていた。執行部や先輩組合員が祝辞を述べ、成年に達した組合員代表が決意表明し、あとは簡単なパーティという仕掛けである。もちろん、だれもが作業服で参加した。質素であるが、それなりに参加者が多かった。青年労働者の通過儀礼である。

 一言で表現すれば、青年とか、若者という言葉が輝いていた時代である。青年婦人部の構成員は、男子は15歳から25歳(後には対象者現象で30歳前後)まで、女子は定年まで資格がある。1970年代後半になって、講演に招いたリブの闘士に「女と子どもを一緒に扱う青年婦人部とはなんだ!」と一発食らって、安閑と永年それでやってきたことにハッとした。

 1970年代まで女子は結婚退職が主流で、結婚退職金を上積みせよというような時代だった。若い女子の退職を当然視する気風が少しずつ変わったが、男女の定年が同じ扱いになるのは1980年代である。世間では、まだ主婦専業が多かった。(もちろん、パートや内職をしている人がかなりあった)

 おおざっばには前述のような時代的雰囲気があったが、ここで触れたいのは、青年という概念と、それについての人々の気風である。

青年の力を引き出す

 組合役員として青年婦人部担当になる組合役員のタイプを振り返ってみると、大きく2通りになる。たまたま筆者は21歳で役員になり青年婦人部を担当したが、たいがいは30代後半で、青年婦人部の年齢を超えた人が多かった。

 青年婦人担当は、だれでも「青年には無限の可能性があります」とブツ。当り障りなくてしゃべりやすいし、聞きやすいから、至る所で耳にする。青年の目の前でしゃべっている20歳年長者が無限の可能性の開花だと思えば、うむ、と呟きたくもなるが、そんな厳しい批判をする青年はいない。組合役員も見えざる権威のオブラートに包まれていた。

 嫌味を言おうとするのではない。先輩が青年の無限の可能性を引き出し、支援する活動ができるかどうか。それが問われている。しかし、青年婦人部担当の多数派は、とにかく組合活動を青年たちが一緒におこなってくれることを願う。たとえばメーデーのデコレーション製作に励んで、わがうちなる創作能力に気づけば意味がある。単に作業をこなすだけではなく、そちらに支援の力が作用しているか否かが大きな問題である。

 さまざまなレクリエーション活動は、企画から実行まで取り組める。なにを企画するか、いかに実現するか、どのように参加者(共同者)を獲得するか。これがヒットすれば、ちょっとした喜びを体験できる。主催者の青年たちが企画して、募集したイベントに参加すれば、ささやかに仲間意識(連帯感)を感ずるが、たんなるお客さん(参加者)では感動や体験に深みがない。

 最初の企画(アイデア提出者)は少数でも、最初の活動から参加者を獲得することがなにより大事だ。イベントの関わりの深さと持続時間の長さが連帯感の醸成に大きく作用するのは間違いないからである。

 これはなかなか難しい。そんなことを考えるよりも、素人イベント屋になる人のほうが多い。それでは意味が薄い。だから、気合が入った担当者はいかにして大きなネットワークを形成するか。初めから共同者を獲得するにはどうするか。いつも頭を使うわけである。他者の主体性を引き出すのは貴重な能力である。

 一方に、(こちらが多数派なのだが)組合が提起したことに従順に付き合ってくれればよろしいという考え方がある。上意下達型である。組合機関紙を読んで理解し協力してくれたらよろしい。読まれないのが一般的傾向だが、なぜ読まれないのか。そのためには、組合員にとことん接近して、考えていることを探り当てねばならない。これも容易ではない。おおかたは、手っ取り早く読んでもらうために目先を変えることばかり考える。

 もちろん、これも簡単なことではないが、勝負は中身であって、形式ではない。逆にいえば、中身のよろしいものは外見もよくなるはずだという根本的意識が薄い。中身と形式の合致とは、中身をお体裁で恰好つけることではない。

無限の可能性!

 話が細かくなったが、無限の可能性を引き出し、気づかせ、行動してもらうためには、すでにお分かりのように、可塑性豊かな青年その人とのキャッチボールが不可欠である。

 実は、これは青年に限らない。人は、どこまでも可塑性を持つ。無限の可能性への1人ひとりの挑戦は、青年期だけで終わらない。筆者の体験では、「無限の可能性」論を確信して、自分自身も含めて、人生を歩もうとしている人は決して多くはない。多くないが、貴重な個性である。ついでに言えば、個性が育つから組織が育つと筆者は考える。

 組合活動に関心を深めた青年は、組合活動についてさまざま意見を述べるようになる。自分たちの仲間を執行部に押し立てて選挙運動するとか、職場委員になって積極的に発言する。上意下達型の組合役員からすれば結構厄介である。客観的に考えれば、組合役員に対して堂々と意見開陳するような青年が増えることは組合運動が盛んになる。組合役員の言うことを聞いて、ひたすら手足になるだけであれば人材が育たない。

 実に単純極まりない理屈である。しかし、とりわけベテラン組合役員からすれば、黙って従ってくれる青年のほうが好ましい。もちろん、組合役員がつねに漸進的目標を追いかけて奮闘しているのであれば、それを支援してもらいたいのは当然である。しかし、現実はそうではない。多くの組合役員は前例踏襲主義で活動する。新しいもの・ことをめがけて張り切るタイプは決定的少数である。

 現代の組合活動の停滞について、歴史的に眺めれば、かつて無限の可能性という言葉だけがあって、その本質を十分に追求しなかったことが悔やまれる。

組合は民主主義の学校である

 1970年代まで、ベテラン活動家のなかには、「組合は社会主義の学校である」と語る人が残っていた。まだ元気だった社会党も民社党も社会主義を掲げていた。ただし、非常に抽象的であった。組合内部では、いわゆる左派の人々がそうであるが、まあ、「遠い未来の星」という辺りで、そこへ至る段取りを語れる人物はいない。賃上げだけで到達可能と思うのは思考不足である。

 ソ連や中国の革命における青年活動を少しかじっている人もいた。たしかに、ロシア1917年10月革命は、レーニン(1870~1924)が率いたボリシェビキの中軸として活動したのは青年であった。その後スターリン(1879~1953)が権力を掌握した。その期間は1922年から1953年であった。

 スターリンは典型的な官僚政治を展開し、1932、33年には、歴史に残る大粛清をおこなった。粛清後の青年たちは10月革命を知らない世代である。彼らの前にある可能性は、たとえば、① コムソモール(共産主義青年同盟 共産党指導下の青年組織)に入って党エリート街道を進むか、② 政治と無関係に私生活に没入するか、③ 政治を変えるために地下活動に入るか、の3つであった。多数派は②であって、社会全般に政治的無関心、冷笑主義が支配したとされる。

 1970年代には、わが国でもスターリン時代の問題点は分かる人は分かっていたが、ほとんどの人が格別関心がないから、組合活動のなかで自分の左派ぶりを証明するために語っていたにすぎない。

 突然、ロシア革命を持ち出したのは、いかなる組織(組合でも会社でもよい)体制においても、官僚機構の上意下達を前提とすると、青年に限らず、人々が選択できる可能性を大きく区分すると前記3つになることを示したかった。整理すると、① 体制内出世、② われ関せず、③ 反体制活動になろう。これではあまりにも限定されて面白くない。

 幸い、わが国は1つのイデオロギーによって動く体制ではなく、民主主義である。もちろん、自民党政治を仔細に見ていくと、怪しい部分がぞろぞろ出てくるが、ここでは横へ置く。

 ところで、民主主義とは言いながら、わが青年たちの目の前にある可能性はいかがであろうか。やはり、A)体制内出世、B)われ関せず、C)反体制活動の3つであろう。学歴が高いわが人々は、社会や組織の矛盾がさっぱりわからないほどの無知ではない。しかし、巷間指摘されるのは圧倒的にB)のわれ関せずであろう。ごく稀に反体制活動に入る人がいるがきわめて少ない。

 会社でいえば普通の人は、格別出世意欲が強くなくても、真面目にコツコツ仕事をこなして、結果的にそこそこ出世するケースも少なくない。この人々も矛盾は十分に認識しているのであるが、非力な個人であるから、個人的裁量の範囲で矛盾を避けているわけだ。

 最初に戻ろう。青年は無限の可能性を持つ。青年に限らず、人はその最後まで、可塑性を持っている。もちろん、マナジリを決して可能性に立ち向かおうという野暮な提案をするのではない。

 先日、新聞に20歳前後の青年が、学校へ外部講師が来られて「人生は価値がある」と熱を込めて講演されたが、考えても自分の人生の価値に思い当たらず悩んだ。某日、漫画でカエルが「オレ達ただモーレツに生きてるだけさ」という表現にピンときた。「とにかく生きることが価値なんだ」と気づいたと書かれていた。

 筆者も賛成である。そこそこ年齢になると、花のうちに死にたいとか、PPK(ピンピンコロリ)などを口にする人があるが、はいずり回ってでも生きるのが、生を享けた者のあり方だと思う。人生の価値は、人生の過程で、自分が納得づくできることをやった場合に、「たまたま」感得できるのではあるまいか。

 ただし、プーチンのように、スラヴ魂やら大ロシア建設の事業と称して破壊と殺戮に精出すような価値観はご免蒙る。本人は失敗しても本望だろうが、取り返しのつかない巻き添えを作るのは、価値ではなく超悪行にすぎない。悪行を価値観だと思うような人物は頭が病気か、突然変異の事例だろう。

 人は生きながら、歩きながら、状況のなかで「わたし」を発見するしかない。個性は、自分が生きている時代において、形成され表現される。自己納得と独りよがりは似て非なるものである。破壊と殺戮の戦争や革命のなかで生きた人の物語が共感を呼ぶのは、戦争や革命に価値があるのではなく、決定的不条理においてすら、自分を失わず生きる、その一瞬一瞬が輝くからである。

 とにかく生きることが大事だ。それは社会的存在でなければならない。民主主義=主権在民とは、自分が主権者である。主権者たるためには、コミュニティにおいて日常的な相互交流を不可欠とする。働く人の労働組合は、コミュニティとしての活動を積極展開してもらいたい。「組合は民主主義の学校である」。声を大にして呼びかけたい。1人ひとりの無限の可能性を追求するコミュニティであってほしい。


◆ 奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人