月刊ライフビジョン | 論 壇

反面教師の世界的大行進

奥井 禮喜

 世界秩序といえば、アメリカ中心主義で、アメリカとうまくやればよろしいという単純思考が支配する日本人である。日米同盟を金科玉条として使い走りでもなんでもやりますという傾向を深めたのは、中曽根政権前後からだ。その流れは安倍政権で頂点に達した。もともと偏狭な日本主義の塊である安倍氏が、グローバルな活躍(?)をしたのは、文学的に表現すれば歴史の皮肉である。

 アメリカの核の傘の下で日本の安全保障を確保するのが、国粋主義人士の内外政治における定点らしい。それは、戦争好きのアメリカの戦争に、日本が巻き込まれる事態になる。独立国として、民主主義と平和主義を真剣に考えたい。

 おりからのウクライナ戦争、台湾問題、いずれも事態の原因を考えれば、どうしてもアメリカによる挑発を無視できない。わが国の新聞は、ロシアがウクライナ侵略に踏み切るに至った経緯をまったく報道しない。沸き起こったロシア悪玉論・ウクライナ正義論に便乗した報道しかおこなわない。アメリカによる世界秩序を守るの声、日米同盟絶対論が無意識下の意識にまで浸透している事情だから、立ち止まって考えようともしない。

反面教師の大行進

 政治に限らないが、世の中のことは、善から善、悪から悪が生まれるわけではない。善から悪、悪から善が生まれることも少なくない。トランプ大統領の誕生に期待した善意の人々はトランプが善だと信じて投票した。しかし、内外の評価がトランプ悪玉論に傾き、存在感の薄かったバイデン大統領が誕生した。

 トランプの敗因は客観的には明確だ。他を一切無視するけた外れの自己陶酔の結果はアウトローに転落した。いまだトランプを支持する共和党議員たちは、決して知性レベルが低いわけでもなく、心からトランプが正義の人だと考えているわけでもない。唯一最大の理由は、自分の議席を守るために、トランプが嘘と放言、世間を瞞着することを熟知しつつ膝を屈している。天下国家、世界秩序を守ると豪語するアメリカの議員が臆面もなく世界中に醜態をさらしている。

 この事態はまさしく悪の状態である。しかし、世界最強の政治リーダーがアメリカ大統領であると考えていた善なる人々が、その真実を直視して、自分の軽率に気づき自己反省するならば、それは人々の成長を意味する。これが反面教師の意義である。反面教師といえば、悪い手本・見本の意味であるが、人々が悪い手本・見本だと理解すれば、反面教師が否定されて生きてくる。

 実際、世の中は反面教師の大行進である。理屈上は、反面教師を肯定する人はいないから、反面教師が大行進していること自体がまことに奇妙である。かくして、反面教師という言葉はあるが、事実からなにも学んでいないことがわかる。教師だろうが、反面教師だろうが、教師である。優れた教師、際立った反面教師は、教師として力がある。ただし、教師の力があっても、学ぼうとしていない生徒であれば、学習効果は絶対に出ない。

 現在、内外政治は混沌・混乱、なにが起こっても不思議ではないカオス状態にある。反面教師というのは、単に個別の人間だけを意味しない。わが目の前に展開されているさまざまな事象がよきものでないならば、否定しなければならない。よきものでないにもかかわらず、否定せず、見て見ぬふりをするならば学習効果は絶対に上がらない。これは、政治的には封建社会の段階だ。

 誰もが、内外のさまざまな事象について、反面教師の大行進を拍手するわけはないだろう。トランプの影響力に追従して自分の議席を守ろうとする諸氏は、反面教師の大行進から学ぶよりも、自分のささやかな欲望達成を優先する。つまり、反面教師の大行進に自身が馳せ参ずるわけで、大行進はさらにさらに大きく膨れ上がってしまう。簡単にいうなら、それが目下の内外政界事情の戯画である。

茶番で終わったNPT

 ようやく開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議の顛末はまったく冴えないばかりでなく、NPTの存在理由ありやという根本的な問題に突き当たった。NPTは、核兵器廃絶に向けて、① 核軍縮、② 核不拡散、③ 原子力の平和利用の3点を推進するはずであるが、1カ月もすったもんだやってポシャったのだから、表面的には笑えない喜劇であり、本質的には悲劇である。

 そもそも、核兵器保有国は世界破滅兵器をもっているが、核兵器廃絶の意志をもっているかどうかきわめて怪しい。非保有国が核兵器廃絶の声を上げれば上げるほど、公認された(!)保有国としての優越感に浸っているかもしれない。保有国同士が不信感と敵対関係にある。保有国同士が胸襟開いた論議をせずしてNPTの前進はありえない。こんなことは自明の理だ。

プーチン発言と核抑止論

 さて、ウクライナ戦争における悪玉ロシアである。プーチンが、ウクライナ戦争において核兵器使用もありうると表明したのは、この戦争において、アメリカの直接介入を牽制する意味であるとか、悪意の恫喝であるというだけではなく、核抑止論の欺瞞を崩した点において正面から受け止められねばなるまい。

 核抑止論(nuclear deterrence)は、核兵器によって、相手国を恐れさせ、攻撃を思いとどまらせるとして、核兵器保有を正当化する理屈である。もっとも有名なマクナマラ・ステーツメント(1962)では、米ソ間に核戦争が起これば、ソ連第一撃・米反撃の場合、死者米ソ1.2億人。米第一撃・ソ連反撃の場合、米1億人、ソ連7千万人。いずれも爆風と放射能によるもののみと試算した。

 ほどなく核戦争に勝者はないという理論が出され(これは正しい)、いわゆるニュークリア・アイロニー(この文学的表現で停滞した)と言われた。核抑止力による平和はもたらされないと考える結果、今度は通常兵器による軍拡路線が推進された。なんら学んでいないわけだ。

 核抑止論は、いわば現状に合わせて取り繕った幻想的理論にすぎない。トランプ氏は、「使えないものを持っても意味がない」と語った。しかし、現実に米ロは膨大な核兵器を保有する。その人的・物的費用だけ考えても半端ではない。核兵器保有国同士で核抑止論が絶対に機能するならば、保有国同士が核兵器廃絶を進めれば問題解決である。しかし、米・中・ロの関係は悪化するばかりであって、相互に不信感と敵対意識が高まるほど核兵器廃絶論議は後退する。そして、行く末は共倒れでしかない。

 いままで、幻想ではあるが、核抑止論は一応前提として維持されていた。それをぶっ飛ばしたのがプーチン発言である。核抑止論は、核保有国の核ボタンを押す人間が、同じように理性をもち、核抑止論を信奉して右顧左眄しないという暗黙の条件がある。しかし、こんな荒唐無稽の理屈が前提されていたこと自体が不思議である。

軍事力中毒

 一方抑止論への期待は暗黙の裡に、いまより将来の世界は緊張を緩和し、平和志向への歩みを進めるという善意の見方(期待)があったかもしれない。しかし、いまや世界の軍事産業は国の経済そのものを担う規模になった。経済・貿易の発展は、論理的に戦争から遠ざかるはずであったが、自国経済・貿易の発展のために、背後で軍事力がうごめく。

 きわめて不都合なのは軍需産業の製品は、平和であれば絶対に売れないという事実である。製品は作っても、訓練・演習以外では消耗しない。つまり、人・物・カネをつぎ込んで社会的にムダなモノを生産するのだから、資源・エネルギーの膨大な浪費である。使わない(使えない)核兵器は、理屈抜きの馬鹿さ加減で、反面教師の典型というべきである。

 ついでながら、尖閣諸島で日中双方がパトロールをおこなっている。石原慎太郎の妄動に乗せられて野田政権が国有化というバカをやらなければ、日中ともに膨大な出費をする必要はなかった。かつて、後世代の知恵に期待した日中双方による尖閣棚上げ論が、後世代によって裏切られた。単なる人・物・カネの浪費に止まらず、日中関係の悪化の象徴になっている。

自暴自棄を食い止められるか

 抑止論に戻す。この先、プーチンが逃げ場のない事態に追い込まれた場合、ゲームオーバーとして、あっさりシャッポを脱ぐだろうか。自分の破滅の道連れに、核兵器を使わない保証はない。トランプの場合、核のボタンのコントロールについて関係者がいろいろ画策したと仄聞したが、絶対者としてのプーチン・マシン(官僚機構)に核抑止論の理性を期待できるとは考えにくい。核のボタンにもっとも近い人間が、どこまでも正常で理性を失わないと考えるのは、思考の条件として不都合であり、ナンセンスである。

 核の傘の本質は、安全の盾でも矛でもない。核抑止論を突き詰めて考えれば、マクナマラ・レポートが示したように、巨大な自殺兵器であり、共倒れ兵器である。核兵器保有国が、破綻した核抑止論に目をつむり、核兵器にこだわるのを見れば、なおさら人間による核のコントロールを期待するのはきわめて無謀だというしかない。

日本人と核の傘

 岸田氏は、広島出身の首相が売りだ。NPTを前進させることが核廃絶への道筋だとする。非核保有国の核兵器禁止条約にはさほど関心がないらしい。それでも、核保有国と非核保有国に橋を架けると語る。いかなる成算があるのか、ぜひ、その本心を教えてもらいたい。

 日本政府は、アメリカが核兵器先制不使用を打ち出そうとした際、反対した。これまたきわめて奇妙で、その真意を図りかねる。戦争で核兵器被害をうけた唯一の国が、自国の安全のために核の傘下に入ることを希う。「あやまちはくり返しません」の真意は、原爆を落とされる原因は、アジアにおける日本の侵略戦争と大東亜戦争であるから、戦争を二度としないというのが、「あやまちをくり返しません」の真意だろう。

 戦争はしないというが、アメリカの核の傘下に入るのは、アメリカの戦争に引き込まれることと同義語である。これでは、あやまちを再現する愚でしかない。かりに日本政府にその気がなくても、日本列島・沖縄などはアメリカの主要な戦争基地である。きわめて危険だ。こんなことは誰にでもわかる。

 安全保障が声高に語られるが、アメリカ一辺倒の外交・軍事戦略(といえるかどうか)を見ると、オツムが混乱しているとしか考えられない。とりわけ、被爆体験からして、核の傘に安心を求めるのは、屈折・倒錯した精神状態にしか見えない。まず、政治家諸氏には頭を冷やして、近代日本の歴史を虚心坦懐に勉強し直してもらいたい。

 われわれ日本人は反面教師から学べるだけの理性を育てなければならない。


◆ 奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人