月刊ライフビジョン | 家元登場

戦争が世紀をまたいでついてくる

奧井禮喜
ミサイルに愛を乗せて

 やってしまった! プーチン氏が、ウクライナ全体との戦争に踏み切ったのは驚きである。ロシアの栄光を求めるのはわかる。欧州の安全保障環境について、欧米を引っぱり出そうとする戦略も、それなりに理解できる。だから、NATOの東方拡大を阻止することを狙っていると考えていた。そもそも、実力を行使すれば、世界の良識の了解を得られない。ウクライナ領土を奪うのが本音であれば、19世紀へ逆戻りである。プーチン氏が無法者として烙印を押されるのは、決してロシアの栄光につながらない。熱烈なナショナリストであるプーチン氏が、その程度の理屈を考えないわけがなかろう。いかに戦争上手であろうとも、世界の評価が上がるものではない。厳しい強権体制の国内でも、「この戦争はわたしの戦争ではない」と抗議の声が上がった。プーチン氏は、ウクライナとの兄弟愛が強いそうだが、その表現手段に破壊と殺戮を使うのは、偏執的・倒錯的・妄想的だとしか言えない。

全ての責はウラジーミルに帰す

 プーチン氏の外交・軍事戦略家としての評価は吹っ飛んだ。独りよがりの目的を達成するために軍事力を行使するのは、帝政時代の皇帝と同じである。軽挙妄動によって、プーチン氏は自分の世界観・歴史観を、自分自身で破壊した。もったいつけて理屈をこねても、矮小な人物が権力と武力を握って舞い上がり、自分が描いた戦略からはみ出して未知の領域へ突っ込んだようにしか見えない。ロシアが軍事的にウクライナを制圧しても、ウクライナの人々の気持ちは完全にロシアとの一体性を失った。領土と人の心は別である。ロシアの勝利は絶対にあり得ない。たぶん、プーチン氏もそのくらいは知っているはずだ。ロシアの名誉も、国内での盛り上がりもないとすれば、四面楚歌である。発生するすべての事態はプーチン氏の責任に帰する。軍事優位であればなんでもやれるという無法者の論理に対して、欧米のみならず各国が、問題の対処をしなければならない。

直ちに撤退を求む

 言語道断である、断固抗議するという姿勢を、具体的に対処策として形成するしかない。軍事力に対して各種制裁をおこなっても制裁は、制裁する側にも被害が発生する。なによりも、平和の象徴といえる経済を戦争の手段に貶めるのがよろしくない。本来、経済の繁栄は平和であるからこそだ。経済的に追い込まれて孤立すると、降参するよりも、暴発する危険性がある。もし、プーチン氏が内外に出口を見出せなくなった場合、世界を道連れにしてやろうと考えるかもしれない。中国はロシアの行動に失望感を表明した。そして、問題解決のためにテーブルに就くべしとしている。これは正しい姿勢である。中ロが仲良しだとしても、一蓮托生ではない。中国は合理的に考える国である。寄ってたかって、中ロを一緒くたにするような愚を犯してはならない。まず、ロシア軍の戦闘停止、撤退を求めるための取り組みを国連ベースでおこなうべきである。

反共十字軍の誤謬

 米国に世界秩序の維持を実質的に委ねてきた、世界各国の知的・道徳的堕落を反省しなければならない。第二次大戦後のアメリカは、民主主義を掲げてたくさん戦争をおこなってきた。ベトナム戦争は、暴政に対する民族自立の本質を無視し、反共の戦争として好き放題やった。アフガニスタンでも、民主主義の移植を目論んだものの、20年間かき回した挙句撤退せざるを得なかった。民主主義は、「人間の尊厳」を求める。ならば本来、民主主義は平和主義と一体不可分である。アメリカ流は、国内民主主義、対外帝国主義と評せざるを得ない事態が多い。1970年代までは、アメリカの反共十字軍的思想や、世界の警察官を気どる思い上がりに世界は批判的だった。しかし、いつの間にか、アメリカ流に思考と行動を合わせるようになった。国連の力不足を批判する声は多い。アメリカ基準ではなく、国連を本気で担ぐ世界の政治をめざさねばなるまい。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人