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昭和史は遠くなりにけり

音無祐作

 「昭和は遠くなりにけり」という言葉を、平成の頃には昭和を懐かしむ言葉として耳にした記憶がありますが、そのもととなったのが、中村草田男が昭和6年に詠んだ「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句だということは、半藤一利氏の作品を読むまで知りませんでした。先日亡くなった氏は、過去の資料や取材対象者の発言の真贋を見極める鋭い洞察力などから、「歴史探偵」と呼ばれていたそうです。

 氏は歴史小説家として「日本のいちばん長い日」や「ノモンハンの夏」、そして「昭和史」など様々な名作を産みだしてきましたが、このところの私は「B面昭和史1926-1945」という作品にはまっていました。冒頭のくだりは、この作品で知りました。

 政治・経済や軍事などによる「A面」の歴史事実に対して、その裏側での民草の生活を経験者の証言や当時の新聞・雑誌などの記録、作家や著名人の日記・手記などを引用しながらこと細かに描かれています。「戦中派不戦日記」の山田風太郎や「断腸亭日乗」の永井荷風などはもちろん、歌手の淡谷のり子、俳優の丹波哲郎、落語家の林家三平など、様々な分野の人たちの証言を使用しているあたりは、歴史探偵の面目躍如という感じです。特に面白いのは、終戦を中学生として迎えた半藤少年の観察です。当時のはやり言葉や噂話、流行歌にその替え歌など、少年目線ならではの市井の人々の様子や思いがひしひしと伝わってきます。

 筆者は子供の頃、戦争を体験したおとなたちの多くが、「自分は戦争に反対であった」「言いたいことを言えない状況だった」と語るのを不思議に思っていました。朝ドラなどでは、主人公の家族やそのおじさんなど、ごく少数の人物だけが異を唱えているように描かれています。それではいったい、隣近所の大多数の人たちはどこにいたのか。太平洋戦争後半ならともかく、満州事変あたりからミッドウェイでの敗戦の手前あたりまでの、提灯行列などの浮かれ騒ぎは、誰が躍っていたのか…。この本を読むと、そんな疑問への答えを見る気がします。

 半藤氏が昭和三部作の「昭和史」「世界史の中の昭和史」締めとなる「B面昭和史」を執筆するきっかけとなったのは、「昭和史」の編集者でもあった山田明子氏の「昭和13・4年ごろと、今のわが国の剣呑さはそっくりだと有識者が言っていますが、歴史は本当に繰り返すのでしょうか」というような言葉だったそうです。

 半藤氏自身は歴史が繰り返されるかという問いに対して、必ずしもそうは思わないとしていますが、憲法解釈の勝手な変更などを見るにつけ、いつか来た道への転換点にならねばと、この十数年の日本の現状を憂いていたようです。

 教科書やドキュメンタリーでは、政治や軍部の暴走により昭和の悲劇へと導かれていった様子が描かれますが、「B面昭和史」を読むとその裏側で、大衆もまた悲劇への推進力になったことが読み取れます。

 近年の一部の強権的な指導者も、およそ90年前の枢軸国の指導者たちも、その多くは民主的な選挙で選ばれたという事実を知るにつけ、現代に生きる自分たちがきちんと近代史を学び、しっかりと考え、行動しなくてはとの思いを新たにします。氏のご冥福をお祈りします。