月刊ライフビジョン | 読書への誘い

「ヒルビリー・エレジー」 J.D.ヴァンス

木下親郎

❙ Hillbilly Elegy  A Memoir of a Family and Culture in Crisis

❙ J.D. Vance

❙ Harper Collins 2016

❙ Paperback: William Collins 2017 (264 pages)

❙ 「ヒルビリー・エレジー」

❙ アメリカの繁栄から取り残された白人たち

❙ 単行本(ソフトカバー) – 光文社 2017/3/15

❙ J.D.ヴァンス (著), 関根 光宏 (翻訳), 山田 文 (翻訳)

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 副題は「アメリカの繁栄から取り残された白人たち(関根・山口訳)」である。トランプ大統領の支持基盤と言われるラスト・ベルト(さび付いた工業地帯)の白人ブルー・カラーに生まれ,海兵隊員としてのイラク従軍,州立大学からエール大学ロースクールという経歴の32才の現役実業家が,自身の生い立ちを描くノン・フィクションである。昨年6月に出版され,現在もニューヨークタイムズ・ベストセラーの上位を占めている。邦訳は,今年3月に出版され,大型書店では良く売れるので平積みで置いている。

 ヴァンス一族は18世紀にアイルランドからアメリカに来た移民である。アメリカ東部のアパラチア山系のケンタッキー州に住み着き,南部奴隷制を支える白人労働者となった。アイルランドでも,スコットランドから来た人の多い地方の出身なので「スコッツ・アイリッシュ」あるいはアパラチアにちなんで「ヒルビリー(山地に住む人)」と呼ばれ,勤勉,誠実で家族を大切にすると言われている。北部が鉄鋼業で繁栄した際に,豊かな生活を求めてヒルビリーの多くが北へ移住した。ヴァンスの祖父母もオハイオ州に移った。しかし,鉄鋼と自動車産業の衰退で,一帯はさび付いた工場の建屋が目立つラスト・ベルトと呼ばれ,職の無いままに取り残されたヒルビリーには「エレジー(哀歌)」が残った。

 白人労働者階級の42%は,自分たちは両親よりも貧しくなったと思い,子供たちが将来豊かになると思っているのは44%である。黒人,スペイン系,学歴のある白人たちに比べて悲観的で,努力すれば成功する「アメリカン・ドリーム」を持てない人たちである。つらい仕事には見向きもしないが,政府の生活保護政策からできるだけ有利な条項を引き出すために躍起となっている。彼らは,理解できない正論を喋るメディアを信じていない。メディアはテレビ・アクセントという標準英語で話す。同じアクセントで話す裁判官や弁護士もメディアと同類と見なされ信じられていない。前大統領のオバマやオバマ夫人も同じアクセントで話すので,興味を持たれない。彼らが信じるのは,インターネットを通じて入ってくるメディアの言わない話である。オバマ大統領は外国生まれのイスラムである。ビッグ・バンや進化論は話であり,聖書に書かれていることが正しいなどである。彼らは,外部の人には本音を示さない。メディアの調査には,適当に応えている。礼拝のために教会には行かないが,子供たちでも問われると「毎週教会に通う」と答えている。

 ヴァンスは,母の2回目の結婚で生まれた。歩き出すころには離婚している。それ以降もすぐにパートナーを変える薬物依存者であった。ヴァンスは,母に看護師資格を取らせるため,一緒に勉強をし,静脈注射の練習台にもなる。母の尿検査には,母の穢れた尿の代わりに自分の尿を提供した。ヴァンスを支えたのは,ヒルビリー気質を持ち続ける祖母の存在である。高校の最終学年を,熱血教師の指導もあり州立大学に入学できる成績で卒業し,結局海兵隊を選ぶ。海兵隊では,新兵に対する苛酷な訓練に耐え,頑強な体を得ただけではなく,小遣いの使い方,記帳,投資など社会人の基礎知識も学ぶ。イラクでは広報担当となり,米軍保護地域外部で,一般の群集と混じり合うなどの実戦以上に危険な体験をしている。除隊後,州立オハイオ大学に入り,海兵隊仕込みの頑張りで,2年で卒業した。次の目標を弁護士と定め,最高峰のエール大学ロースクールに入学し,優秀な学生に与えられる学内誌の編集委員にもなった。

 本書には,ジョン・グリシャムの著書にはない事柄が一杯ある。アメリカで売れ続けているのも,既成勢力にとって驚きのノンフィクションだからであろう。

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木下親郎
電機会社で先端技術製品のもの造りを担当した技術者。現在はその体験を人造りに生かすべく奮闘中