月刊ライフビジョン | 家元登場

国民主権を活着させよう

奥井 禮喜
議会は妥協を創造する

 たしか1930年頃の話だと思う。英国労働党支持のC.チャップリン(1889~1977)が、首相J.R.マクドナルド(1866~1937)に、「労働党だから社会主義をめざしていると思うが、国家の性格を根本的に変えてしまうだけの力があるのですか?」と聞いた。マクドナルドはユーモアたっぷりに答えた。「当然そうでなくてはならんのだが、この国では、みんな政権を握ると、とたんに無力になるんだね」。(『チャップリン自伝』)ささやかな会話であるが、英国的デモクラシーの精神を見る。約30年後、自民党の大物議員河野一郎が街頭で「選挙に勝った以上は、政治というものはきれいにわれわれに任せてもらいたい」と演説した。議長・副議長、常任委員長、その他もろもろ独占して好き放題やらせろという。選挙で勝とうが敗けようが、頭数が多かろうが少なかろうが、議会は、各党が論議して、最大限の妥協を創造するところである。日本的デモクラシーは底が浅い。

新生立憲民主党

 傍目には、ちんたらもたもた不細工な離合集散劇に見えたとしても、9月15日に合同した立憲民主党の誕生は十分に意義がある。なぜならば、頭数さえあれば好き放題できるという、デモクラシーを形式的多数決でしか考えられない議員が多い。安倍政治は後になるほど数の力を振り回す徒党と化したが、河野一郎的見識が議員諸氏のオツムを支配している限り、わがデモクラシーは絶対に本物にならない。じっくり議論をやらないのであれば、法案を作るのは官僚で、議員は単なる表決人形であって、税金から政党助成金を捻出するほどの意味はない。150人の衆参議員が固まりを作ったことによって、谷底へ落ちた感のあるわがデモクラシーを再建する足掛かりができた。いままでの悔しさを忘れず、肥しとして、チームワークを鍛えて本気で取り組むならば、遠からず合同新党効果が出せる。1人で2人分活動するくらいの気迫で政治状況を開拓してもらいたい。

安菅コンビの逆走

 いまの自民党は党内刷新能力を欠いている。チャンスである。頭数は多いが、烏合の衆、陣笠集団だ。かつて行政改革の本丸は官僚を自由自在に動かすことにあった。安菅コンビのように人事で官僚の頭を抑えつけて、無理が通れば道理が引っ込むことにでも従わせるというものとは違う。オツム優秀な官僚諸氏が本気で「公僕」として、知恵を発揮し、汗をかくことに働きがいを感ずること、官僚機構の組織文化をそのように育てていくことが本来の目的である。安菅コンビは公僕ではなく、自分たちの手下にした。政治家自身が政治家の本懐を忘れ、政権維持のために官僚化した。ミイラ取りがミイラになった。押さえつけられている官僚にしても、バカ殿共々の心境に発想の転換! をすれば存外心地よいだろう。民主党政権がしくじったのは、行政改革推進を焦って、官僚と敵対したからである。安菅コンビは抑え込みに成功したが、それ自体が官僚政治への堕落であった。

国民主権を活着させよう

 今回の野党合同には、連合の毅然とした態度が大きな推進力になった。神津会長は、昨年10月の連合30周年大会で、「わが国に巣くう自己責任論は極めて危険」であると主張した。功利主義、企業の利益至上主義において、働く人は働く機械になってしまう。コロナ対策に知恵も汗も出せない政治家に、エッセンシャルワーカーなどと奉られ、自衛隊機を飛ばしてもらっても、何の足しにもならない。さらに、「民主主義を手にしているか、国民主権が定着しているか」とも問いかけた。神津氏が昨年大会で主張したことが前へ進んだ。政治も経済も行き詰まりにあることを誰もが感じているだろう。何も見なければ、この世はパラダイスだが、貧困・格差が社会の現実である。働く人が望むものは天から降ってはこない。合同新党に景気をつけるのは働く人の声である。職場に限らず、社会の矛盾に対して声を上げよう。われわれは、自由にものが言える社会の住人のはずである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人