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学習機会獲得は子供の権利

音無祐作

 かつてバスボートと呼ばれるバスフィッシング専用ボートに憧れ、小型船舶免許の取得を目指したことがありました。いざ学び始めてみると、今まで知らなかった海や船舶の知識や技術の習得が面白く、必要性に迫られていたわけでも強制されたわけでもないのに、寝る間も惜しんで勉強し、暇さえあれば、教科書や単語帳を開き、パイプベッドや冷蔵庫の取っ手などを使って実技のひとつであるロープの結び方の練習に勤しんだものでした。一人暮らしの男のベッドなどにロープがあちこち結んであるのは、実に怪しい光景だったと思います。今にして思えば、これまでのわが生涯で一番懸命に勉強に励んだ案件だったのではないかと思います。結局免許は取得したものの、バスボートなど持つどころか、レンタル費用も予想以上に高額だと知り、あまり活用することはなく、今に至っています。

 新型コロナ感染予防の長い休校期間が終わり、学校に通い始める子どもたちにマスコミのマイクが向けられるシーンを見ると、「友達と会えるのがうれしい」とか、「部活を再開できる」とかいった声が聞こえます。その一方で「勉強ができるのがうれしい」という声を聞きません。そういう発言自体が少ないのか、編集で選別されているのか、はたまた、勉強がうれしいなんて優等生的回答をあまり歓迎しない風潮もあるような気がします。

 数年前、マララ・ユスフザイさんがノーベル賞を受賞したことで知られるようになりましたが、世界には教育を受けたくても受けられない子供たちがたくさんいます。子どもにとって、勉強は義務ではなく権利です。幼い子どもは「なんで?」という質問を、親が嫌になるほど繰り返す、知識欲旺盛なものです。そんな時期は、知識を得ることがとても楽しいものであったはずです。

 勉強が「しなければならない」ものとして捉えられてしまう原因の一つに、「義務教育」という言葉があると思います。本来、親が子どもに教育を受けさせることが「義務」という意味にもかかわらず、子どもたちや一部の親までもが、「子供は勉強することが義務だ」という勘違いがあるような気がします。

 受験のシステムを変えたり、無償化を検討したりするのも必要なことだとは思いますが、初等教育のうちは勉強を楽しいと思える教育を、そして中等から先は勉強が自分の将来にとってどんなに有意義な事かを説き、「競って学びたくなる授業づくり」を考える事も大切ではないでしょうか。

 新型コロナウイルスへの対応の中で、IT関連や医薬品開発など様々な分野で、この国が他の国々にすっかり後れを取っていることを思い知らされました。

 また、今後加速度的に変化を遂げるであろう社会の中で、発電の方式や自動車の動力源など、従来の科目にとどまらず、新たに学ぶべき知識が次々と増えていくことでしょう。義務としていやいや「させられる」のではなく、能動的に積極的に学びたいという気持ちや、勉強できることに「感謝」の念を抱けるような環境作りが、「改革」の目指すところのような気がします。

 近年言われる教育改革でも、まずは子どもたちに「勉強をすることができる」「教育を受けることがうれしい」と考えてもらえるような視点が必要なのではないでしょうか。