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パッシングライトの意味の読み方

音無祐作

 昨年来、ニュースで「あおり運転」という言葉を多く耳にしますが、言葉の使われ方が私の認識と少しずれを感じます。

 私が思うあおり運転とは、後ろから来た車がライトを点滅させるパッシングをしたり、車間距離を狭くして前車に圧力をかけたりする行為です。一連の事故・事件のように前方に出て走行を妨害し、相手を止めるというような威嚇的危険行為は、もはや「あおり運転」などと呼べる次元ではないと思っています。

 しかし時には、後ろからのパッシングライトが必要となる場面もあります。前の車が、眠さに耐えてかふらふらと走っていたり、追い越し車線を制限速度を遥かに下回る速度で走行し続け、円滑な交通の妨げとなっていたりするような場合などです。

 運転をしない方には、「制限速度内で走行していることだし、どこを走ったって注意までされることではないのでは」と思われるかも知れませんが、道路交通法では、追い越し車線を走り続けることは違反行為とされており、場合によっては危険にもつながりかねない行為なのです。

 力のない車や荷物を満載した大型車などにとっては、一定の速度で走ることが燃料の節約や排出ガスの抑制にもつながります。ひとたび不必要な減速を強いられると、そのあとの速度回復は結構深刻な問題で、余計な時間と燃料を無駄遣いすることになってしまうのです。私もおんぼろの車に乗っていたときは、関越自動車道下りの伊香保を過ぎた登坂路ではその手前でしっかり助走をつけないと、どんどんスピードが落ちてしまいには、登坂車線でも迷惑になりそうな速度にまで落ちてしまうので、上り坂手前の平たん路から緊張しながら挑んだものでした。厳しい経済環境の中で、物流や人員輸送を生業とするプロドライバーにとっては、なおさら、緊張するところでしょう。

 したがって、大型車などが遅い車に対してパッシングで注意することは、道路交通法の「安全」と並ぶもう一つの目的である「円滑」のためにも、そして地球環境のためにも、必要な行為とみることもできます。あくまで、安全と法規の範囲内でということにはなりますが…

 ところで一方、後ろから来た車がパッシングで注意せざるを得ないような迷惑運転もあります。

 現在、国の舵取りでもそんな迷惑運転が繰り返されているように感じられて仕方がありません。勝手な法解釈の変更による平和安全法制の捻じ曲げ、モリ・カケ問題にサクラ問題、マスク配布の無駄遣いや現金給付、経済支援の遅れ、そして検察庁問題と、次々と警告のパッシングライトを受けながらも、走り方を改める気配すらありません。

「走り屋」と呼ばれる一部のスポーツカー愛好家の間では、パッシングライトは単なる「あおり」ではなく、「勝負しようぜ」というバトルの呼びかけになっています。走り方を改めるどころか、さらなる暴走に向かわないことをお願いしたいものです。