論 考

中曽根氏は有罪である

 中曽根氏が亡くなって、新聞はいずれも、「戦後政治の総決算」を唱えたとか、「日本列島不沈空母」など、氏の発言を掲げた。

 氏の盟友ナベツネ氏の読売新聞社説は淡々とした文章で中曽根氏の足跡を辿った。末尾に中曽根氏の「政治家は歴史という法廷で裁かれる被告」であるという言葉を紹介し、政治家諸君にこれを学べという。

 この言葉自体は誰が使っても結構である。そこで、問題は中曽根氏の政治をいかに裁くかにあるが、ピリッと裁いた論調は今朝の段階ではお目にかからない。これから追々書かれるのであろうか。

 たとえば「戦後政治の総決算」について、新聞各紙は、いかに受け止めているのか。いずれを読んでも肯定とも否定ともいえない。そもそもこの抽象的な言葉の明確な概念が規定されていない。規定されていないものを、本人が使ったキャッチコピーそのままに記録するのは、わたしは感心しない。

 中曽根氏は、比較的慎重ではあったが、本質は国家主義者であり、戦前政治家である。氏が、デモクラシーの発展のために尽力したとは考えられない。戦後政治の総決算とは、氏によれば、日本を戦前型に引き戻すことであった。

 そして、いまの日本は、戦後デモクラシーを形式においても中身においても破壊しつつある。中曽根流総決算が着々進んでいる。中曽根氏の政治家としての資質については、わが国のデモクラシーを捻じ曲げた意味において、わたしは「有罪」であると裁定する。