論 考

香港と沖縄

 人間は個体だけでは生きられない。そこで超個体というべき国家を作って、有史以来、国家が個体を統御してきた。

 しかし、個体のほうからすると、国家との親しみよりも日々の暮らしの周辺の社会のほうが身近である。国家が身近になるのは、残念ながら善政よりも悪政によってであって、だから、人々は政治を敬遠するようになった。

 さりとて、権力を駆使する国家が存在しないという事態は、容易にイメージを描きにくい。

 本来、香港がイギリスの植民地から解放されたのは歓迎される事態であった。しかし、沖縄の人々が日本への「復帰」を叫んだのとは異なっていたから、「一国二制度」という方法が編み出された。50年もたてば円満に同化融和するであろうという楽観論が前提である。目下は、楽観論の出番はない。

 わが新聞各紙は、「香港民主化圧勝」をわがことのように喜ぶが、香港の独立を応援するのでないとすれば、論調が軽過ぎはしないか。

 翻って沖縄の民主派(基地反対派)の動向を思い起こす。志半ばで亡くなった翁長さんをはじめ心ある人々は、真の日本復帰とは、「沖縄に日本国憲法を根づかせる」ことであるという考え方に至った。

 中国は共産党支配の国だからという理由で叩くが、わが国はデモクラシーでありながら、真に日本復帰したいとして頑張っている「沖縄人」を香港民主派に対する応援の弁ほどに取り扱っているであろうか。これでは、「一国二論調」みたいである。