論 考

歴史の逆流

 イギリスが世界の覇者として君臨し、「Pax Britannica」といわれたのは19世紀半ばから20世紀初頭であった。

 第一次世界大戦後以来、ヨーロッパは、「生き延び繁栄するために統合すること、それがヨーロッパの国々が今後直面する、差し迫った必要である」という認識に至った。しかし、1939年第二次世界大戦が勃発した。

 第二次世界大戦では、すでにアメリカの国力が世界を圧していたが、首相W・チャーチル(1874~1965)が卓抜した指導力を発揮して、連合国の勝利に貢献した。いわばイギリスの頭脳とアメリカの馬力の二本柱であった。

 1946年9月16日、チャーチルはチューリッヒで、「われわれは一種のヨーロッパ合衆国を建設しなければならない」と演説し大きな反響を呼んだ。ただし、チャーチルは、イギリスは別だという認識であった。

 その後、営々とした取り組みが続けられ、1957年のEEC(欧州経済共同体)から、1993年にはEU(欧州共同体)が結成された。

 ともすればイギリス人は「John Bull」(典型的な保守的英国人)が鼻につくと、他国の人々に陰口を叩かれたりしたが、労働党のブレアが首相に就任(在1997~2007)して、従来の英国人イメージを一新したといわれた。

 その後、首相は、労働党G・ブラウン(在2007~2010)、保守党D・キャメロン(在2010~2016)と替わり、議会が不安定な状態になったなかで、キャメロンが2016年にBrexitの国民投票を持ち出した。

 キャメロン自身はEU残留派であったが、国民投票では僅差でEU離脱派が勝利した。その後、メイ首相、ジョンソン首相と交代してEU離脱問題に取り組んできたが、まさに混沌、英国政治はカオス的である。同時に、それはEUが取り組まなければならない諸課題への足かせにもなっている。

 キャメロンが軽率な国民投票を打ち出さなければ、こんな事態にはならなかったと悔やむ人は少なくないだろう。

 それだけではない、第一次世界大戦後から取り組んできた汎ヨーロッパの歴史を混ぜ返してしまった。過去の栄光に引きずられる精神がいかに危険なものか、Brexit騒動が白日のもとにさらしている。