論 考

差別社会の断面

 1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震の際は、被災した女性が淡々と話した。「みんなが辛い思いをしている。だからこそ明るくね。みんなで、またやり直せばいいじゃない」。この言葉が外電で配信され、日本人的美質として賞賛された。

 今回は、台東区で、台東区の住所がないという理由で、家がない人が避難所へ入ることを拒否された。ニュースが世界に配信された。しかも、匿名のツイッターでは受け入れ拒否を当然とする見解が多い。

 『明治東京下層生活誌』には、1896年『時事新報』に掲載された「東京の貧民」という記事がある。貧民窟で暮らす極貧の乞食社会、乞食小僧、紙屑拾い(本文の通り)の悲惨な事情が報告されている。

 魚の骨をしゃぶりつつ数人の乞食小僧が話している。

 「意地の悪い奴らは残り物をゴミ溜めへ捨てても、俺たちにはくれない」「早く大きくなって出世したいなあ」

 「本当だ、オイ、お前は出世をしたら施しをするか」「ウウンするものか、何故たって俺らの難儀を救う者がねえ世の中じゃねえか、お前はどうするつもりだ」「俺ア施しをするなあ、今の難儀を思やあ人の難儀を見ちゃあいられねえもの」「それはそうと追々に寒くはなるしこれからが思いやられるなあ」

 およそ人間の社会における関係は相対的である。不幸な境遇にある人を差別する社会において、他者を差別している人は、自分も誰かに差別されているという真理を知っておくべきだ。