週刊RO通信

連合30周年の再出発

NO.1324

 連合の第16回定期大会が、10月10~11日に開催された。連合は1989年11月21日に結成されたので、今年は30年の節目である。新聞報道では大事な視点が欠落している。少し見解を述べたい。

 神津里季生会長は挨拶で、労働運動の成り立ちを語り、今年100周年を迎えたILO(国際労働機関)記念宣言の「政労使三者による継続的かつ協調的な活動が、社会正義、民主主義、普遍的かつ恒久的な平和の推進に不可欠」を引用した。連合が集団的労使関係を十分に活用して、宣言のめざすものに向かって歩まねばならぬ。組合こそが世界を救う。その志を共有したい。これが30年を迎えた連合の新たな決意であり、運動の目標である。

 昨今の組合活動家は、労働運動の歴史と意義を認識しているだろうか。多くの組合役員が、押し付けられて! その任務を背負っている。しかも、大方の組合員はフリーライダーを決め込む。ここから出発せねばならない。

 もちろんフリーライダー問題は組合活動が開始したときからある。戦後の飢餓賃金時代から立ち上がったから、賃金闘争の勢いがそれを吸収していた。しかし、いま、賃金闘争に奮い立つ人は多くはない。厳しい現実だ。

 つまり、労働運動は戦後の賃金闘争型モデルに頼るのではなく、今日的課題と勝負するモデルを再構築しなければならない。そのためには、労働運動の歴史と意義を勉強しなければならない。

 神津氏は「平等に人権が尊重される職場環境であろうか」と問題提起した。パワハラはじめハラスメント問題が話題になる。法律を定めただけでは解決しない。組合員各人が問題認識を共有しなければならない。

 上司に罵倒される部下がいる。それは2人の人間関係の問題ではない。働く人を単なる人手としか考えない企業風土だからなのであって、罵倒されていない人もその渦中にある。問題を共有することが連帯の第一歩である。

 神津氏は「わが国に巣くう自己責任論は極めて危険」であると指摘した。がんばった者が報われるというが、これだけでは前へ進まない。成果が挙げられない人は悪だという気風が染みついている。

 背景には功利主義が蔓延している。企業が単に営利を追求するだけであれば、働く人は働く機械と変わらない。企業は人手を得るのではなく、協働者を組織するのである。組合は、これを追求して経営者を啓蒙する必要がある。

 戦前までの「働かせてやる」という経営者の気風はいまだ改まっていない。それが、いま形を変えて自己責任論が飛んだり跳ねたりしている。労働者事情を歴史的に勉強して考える必要がある。考えなければ気づきはない。

 神津氏は「働き方改革を社会に根付かせねばならない」と主張する。ところで、「働き方改革」が、働く人から提起されていない。ここに、いまの組合活動の大きな欠陥が示されている。組合運動の主体性確立が大切だ。

 実際、「働き方改革」について、職場集会で議論した組合があっただろうか。以前の「ワーク・ライフ・バランス」も然り。組合員が討議しなければ、いかなる政策も力を持たない。「連合」の看板だけでは連合できない。

 連合・産別・単位組合のそれぞれの機能・役割論からすれば、連合の政治的役割に注目が集まるのは必然であるが、その前に、組合運動としての堅実な立ち位置を再確立しなければ、本当の力は出ない。

 連合の力は産別の力であり、産別の力は単組の力であり、単組の力は組合員の力である。神津氏の発言には、その思いが満ちているはずだ。連合が最重点とするべきは、連合と組合員を太く近くつなぐことである。

 神津氏の発言の真意は表現を変えると、「組合とは、組合員である」という核心を訴えたのだと、わたしは考える。ならば、組合役員は機関中心主義から踏み出して、組合員を組合活動の舞台に押し上げねばならない。

 それが神津氏の「民主主義を手にしているか、国民主権が定着しているか」という問いかけと重なる。新聞は、「連合が支持政党を明示できず、政治的影響力が弱まった」と書くが、本当に大切なのは、まず労働運動の主体性を確立することであって、これを読み取らねば、今大会の報道にならない。

 30年前に結成された連合は、組合活動のアイデンティティを深く掘らず走り出した。神津氏はそれに気づかれたのではあるまいか。健闘を期待する。