論 考

仕事師考

 今朝の朝日新聞に「教員のなり手が減少」というレポートが出ている。

 公立小中学校の採用試験応募者が、2012年には12.2万人いたが、いまは9.8万人だという。

 理由を推測すると、小学校で30%・中学校で60%が過労死ラインの残業をやっていることから、ブラック職場では働きたくないのだろう。一方、民間企業での就職が好調だからそちらに流れるという。

 単純に職業選択を労働条件最優先で考えれば、当たらずといえども遠からずの感じだ。

 わたしは工業高校卒だから初めから先生という仕事を将来の職業対象から考えていなかったが、いままでお付き合いした先生たちの話から想像すると、みなさんが子ども好きで、教える仕事に興味をもっておられた。

 教えることは難しい。どちらの職場でも、後進に仕事を教えることに苦労している。自分が教えることは可能でも、教えられる側が学ぶ気持ちがなければ空振りになる。

 恥ずかしながら、わたしの社会人丁稚奉公時代を振り返ると、とてもじゃないが、こんな奴に教えられるものではない。見放さず、相手をしてくださった先輩諸氏に、いまさらながら感謝、感謝である。

 先輩方は教師ではなかったが、わたしにとっては、いまも先生である。

 考えてみれば、先に生まれたものは誰もが、後から来る人の先生みたいなものだ。もちろん、反面教師も少なくなかった。そして、いま思えば、反面教師の教育効果たるや、むしろ大きな影響があった。

 教師に限らず、いずこの職場でも、もっと妥当な仕事ぶりになるように、他人任せではなく、1人ひとりが取り組まねばならない。

 どんな仕事師を志しても、自分だけでやれる仕事はほとんどない。仕事師たるものは、働く全環境も含めて仕事師たらねばならないわけだ。