論 考

勝海舟が見抜いた中国

 勝海舟(1823~1899)は、「国というものは、独立して、何か卓絶したものがなければならぬ」が、日本は西洋の真似に終わっていると嘆いた。

 そして、「支那(中国)などにできる人物は、恐ろしい大きなものだ」と述懐した。日清戦争講和の下関会議に来た李鴻章(1823~1901)について、「伊藤(博文)などよりはるかに人物が大きい」とも語った。

 20世紀、中国は経済的に苦しんでいた時代にも、世界において政治的存在感があった。領土が大きく、人口が多いだけでは存在感はない。

 いま、世界第2位の経済大国として、AIは世界トップ級の技術をもつ。これが1978年の改革開放から42年間に到達した地平である。今日で中華人民共和国の建国70年を迎えた。

 米国が仕掛けているのが、狭い意味の貿易戦争なのかどうか。ご乱心的トランプ流だけでもない。アメリカが覇権維持のために、中国を支配するか、中国との関係を断つかという二者択一論にはまってしまうと、世界は根底から不気味になる。

 仮に中国が米国の警戒感を解こうとしても、有効な手立てはない。なぜなら、いまの米国に高まっている気風は、中国が支配下にあるという確信がないかぎり軟化する性質のものではない。

 米国が、支配するか、関係を断つかではなく、対等関係に立とうとしないとすれば、中国が膝を屈するわけがない。

 中国人の誇り高きことが、困難な時代にも存在感を示していたのである。120年前に没した勝海舟の慧眼に納得させられる。