週刊RO通信

ナショナリズムを考えてみた

NO.1317

 ナショナリズムは国家の統一・独立・発展を推進することを強調する思想である。ナショナリズム思想は18世紀末あたり欧州に発生した。17世紀末に起こり当時最盛期であった啓蒙思想に相対したのである。

 まず、啓蒙思想は旧弊打破の革新的思想である。人間的・自然的理性を尊重し、宗教的権威に反対して、人間的・合理的思惟を唱えた。人間としての生活・社会を進歩・改善する、理想をめざす思想運動である。

 とりわけイギリス・フランスを中心とする市民的ヒューマニズムの流れは、汎ヨーロッパ的思想へと発展して、国際的、世界市民の思想へと進んだ。

 啓蒙思想の寵児ともいうべきフランスのヴォルテール(1694~1778)は、啓蒙絶対君主であるプロイセン王フリードリヒ2世や、ロシアのエカテリーナ2世と交流した。ヨーロッパの知性は国境を超えたといわれた。

 ドイツのゲーテ(1749~1832)は世界文学をめざした。人間の自由を追求し、超国民的なもの、世界的広がりのあるドイツ性を構想した。74歳のゲーテが、イギリスの29歳のカーライル(1795~1881)に宛てた書簡である。

 ――真に普遍的な寛容というものは、人が個々の人間や民族の特性をそのままにしておきながら、しかも真の功績は全人類の所有となることによってのみ卓越するものになるという確信を固く守っているときに、もっとも確実に達成されるものです――

 カーライルは心から尊敬するゲーテに、英独は距離と悪質の口舌によって隔てられてきたが、いつかは互いに愛情に満ちた関係になるという期待を込めて書簡を送った。

 ――個人同士が知り合うように、国民同士が知り合えば、相互の憎悪は相互の援助に席を譲るでしょうし、時々人が隣国を名づけたような生来の敵である代わりに、我々はすべて生来の友となるでしょう――

 第一次世界大戦後1919年、ドイツはデモクラシーのワイマール憲法を定めた。しかし、国民は保守的・反共和国的ナショナリズムが支配していた。

 トーマス・マン(1875~1955)は、ドイツは世間知らずの田舎者、処世下手で、知性を鼻にかけて、汎ヨーロッパの「国際的」(世界市民)という言葉が罵倒の対象になっていた。それがナチを生んだ遠因だと分析した。

 さて、日本のナショナリズムはどうだったか。1920年ごろから軍部に国家総力戦体制論が登場する。軍部独裁構想であり、一般人には「見えざる長期的クーデター」が始まった。軍部ファシズムが膨張していく。

 昭和に入るころには、政党は軍部ファシズムに対抗する力を持たず、実質的に屈伏していた。その結果、1940年10月、第二次近衛内閣の下で大政翼賛会が結成された。全政党が解散し、大政翼賛会に合流した。

 軍部ファシズムが日本的ナショナリズムの核心であり、押し付けナショナリズムであった。これが45年の敗戦で解体されたものの、70年代あたりまで、人々は、国家・国民という言葉にすら一種の警戒感を持っていた。

 敗戦後、占領軍が来れば何をやられるかわからないと恐怖を抱いたが、わずかの間に解放軍と勘違いしたり、マッカーサー解任に際しては、国会が感謝決議をした。間接統治による占領行政は大成功というわけだ。

 それだけではない、昨今わが国のナショナリズムたるもの(があるとして)の上にアメリカが君臨しているようである。アメリカの占領行政が終わって67年にもなるのに、「見えざる占領行政」が継続している?

 中江兆民(1847~1901)は、明治維新以降、旧来の陋習をすんなり洋風に改めたのは、ものごとの理解力が高いというよりも、日本人が浮ついて軽薄な大病根を持っている面が気になると指摘した。なるほど、日本の近代を顧みれば、機を見るに敏と自賛するより、軽佻浮薄を戒めるべきだろう。

 日本人は田舎者気質が強い。一方、進取の気性が強くない。群れていれば安心で、威勢のいいほうへなびきやすい。100年前あたりとあまり変わっていないのではないか。しばしば、タイムカプセルに入った心地がする。

 中国・韓国のナショナリズムは、植民地主義・帝国主義に対する反抗から育った。両国はともに人々が困難に耐えて抑圧をはね返して、偉大な力を発揮した歴史を持っている。われわれは、その歴史に学ぶ必要がある。