論 考

大正デモクラシー高揚期

 100年前の1919年から、23年の関東大震災までは、戦前のデモクラシー(いわゆる大正デモクラシー)がもっとも盛り上がった時期である。

 19年3月には、組合の友愛会(鈴木文治)が、四大権利「生存権・団結権・争議権・参政権」を掲げて、普通選挙権獲得運動を大々的に展開した。19年後半になると、主要全国紙はすべて普選運動を支持して論陣を張った。

 当時の組合は組織率が5%に届く前であるが、普選運動の柱として友愛会の活動は大きな力を発揮し、普選運動を国民的運動に拡大させた。

 その雰囲気の22年1月2日、大阪朝日新聞社説は、「徹底した国内のデモクラシーは、民族自決主義と平和主義になる」と主張した。

 デモクラシーとは、基本的人権をお互いに尊重することである。基本的人権には国境はない。必然的に平和主義になるわけだ。

 残念ながら、せっかく盛り上がったデモクラシー意識は、23年9月1日の関東大震災で吹き飛ばされた。どんどん戦争に向かって走っていった。

 戦争を知らない世代が戦争の体験を先輩世代に聞くのはよいことだ。

 さらに、いま、自分が生きている社会において、基本的人権がどうなっているか。見渡せば、デモクラシーに背く出来事が掃き捨てたいほどある。日々、自分の目で見て、考える。

 8月15日は鎮魂の日だけではない。戦後のデモクラシーへ踏み入った日である。教えてもらうのを待つだけではなく、デモクラシーを考えよう。