論 考

まともでありたい

 世の中には、まともであろうとする人と、そうでない人の2種類しかいない。

 そして、あえて言うが、まともであろうとする人は少数派である。

 もちろん、わたしは、何が正常で、何が正常でないかを絶対的にわかっているなどと考えているのではない。自分自身がいつも暗がりで手探りしている。

 それでも、めいめいが自分第一主義を突き進みながら、他者の自分第一主義を許容できないのであれば、行きつく先は衝突と混乱になる程度のことはわかるし、歴史が証明している通りである。

 広島市長の松井氏が、昨日の式典で、自国第一主義と不寛容の2つを明確に批判した。短い言葉であるが、いまの世界の動向をみれば、この批判は、まともであろうとする人の態度であり、国や民族、イデオロギーを超えて支持するべきである。

 わたしは、松井発言を全面的に支持する。