論 考

馬耳東風か

 東京新聞に大学生の投稿が載っていた。授業で、先生から「新聞を読んで感じたことを書き出す」という課題が出された。学生がざわついて、挙句「何をすればいいんですか?」という質問(?)が飛び出したそうだ。

 当ネットでおなじみの高井潔司教授から新聞を読まない学生に対してメディア論を教える苦労を聞いていたから、やはりな、と思う。

 わたしもワークショップの事例研究などで「感想を話してください」という課題を提供する。「何をすればいいんですか?」という質問が出たことはあるが極めて少ない。セミナーが進むにつれて、課題に対する取り組みがスムーズになるものだ。

 常識的には、新聞に限らず、何ごとかに接すれば、自分なりの感想が沸く。町を歩いていれば、あの子どもは可愛いとか、自転車の走らせ方がやばいとか、夕餉の匂いに刺激されて焼き魚が食べたいとか、感想だらけである。

 少し見方を変えると、感想と言われて面食らうのは、つねづね自分が自分を意識していないからではなかろうか。人は情報のルツボに佇んでいるが、それが右から左へ通過するだけになっているのではあるまいか。

 大学は勉強の仕方を教えるのだと思っていたが、考え方を教えなければならないらしい。