週刊RO通信

日本的政党政治の未熟

NO.1308

 政党が多数議員を得て政権を掌握・運営するのが政党政治である。政党は、共通する活動綱領・政策、政治的立場を共有する人々の結社である。だから政治権力の掌握・確保・維持・統制をめざして活動する。

 政党は、有権者に対して政策を訴え、人々の意思・利害を集約、調整し、組織化して運動に高める。どなたさまも先刻ご承知の理屈であるが、残念ながら形式と中身は大きく違っている。

 近代日本において、政党が政策中心に育ってこなかった事情を見過ごすわけにはいかない。これは、つまり日本の政治が健全に育っているかどうかの問題と密接につながっている。

 政党内閣制の主張は、1870年ごろ(明治3)に登場した。しかし、その歩みは遅々として進まない。89年、大日本帝国憲法が発布されたが、政党内閣制を前提としていない。

 98年に発足した憲政党の大隈重信内閣(いわゆる隈板内閣)が政党内閣のハシリである。しかし、憲政党に合体した旧自由党(板垣退助)・進歩党(大隈重信)が対立して5か月ほどで崩壊した。

 政友会・西園寺公望総裁のもとで党を率いた原敬は、鉄道・道路・港湾・学校などの建設を推進し、地方の恒産ある「名望家」を引き込んで政友会の地方組織を確立した。政府ポストに党員を送り込んだ。高級官僚や有力財界人が入党し、早くも「政党の官僚化」が進んだのである。

 政友会を大政党に育てた原の考えは明快だ。

 「政党を大きくすることと、政策をおこなうことは別である。党を大きくするためには、無主義・無節操で、ひたすら党を大きくすることが大事である」「政策をおこなおうとすると、党が小さくなるばかりだ」という。

 なるほど、大政党に対抗するために、小さい政党ほど政策を磨こうとして議論するが、政策論議が実る前に分裂を繰り返す。今回の参議院選挙でも、与党の専横的政治をなくすことが大事で、そのためには与党の議席を減らし、野党の議席を増やさねばならないことは、誰にでもわかる理屈だが、野党共闘に弾みがつかない。野党の戦略論が弱い。

 「政権獲得を狙わない党は存在価値がない」というが、原の戦略は、遮二無二政権獲得に向かって驀進する。かくして1918年には政友会・原敬内閣を組織するに至った。原は、相変わらず封建主義の色濃い時代に、初めて平民出身者として宰相に就いた。

 とはいえ、政策が未熟では政党の本来の仕事ができない。いま、自民党は巨大政党ではあるが、政策を大事にしているだろうか。とりわけ、誰もが社会保障について不安である。経済成長なくして社会保障を進歩させられないという逃げの一手で、要するに、本気で取り組む姿勢がない。

 与党とその提灯持ちメディアは、野党に政策を示せと言うが、政権を担っている政党が、実は、看板を掲げても政策の中身がお粗末である。政治といえば広告会社的宣伝で世論を誘導すればいいと考えているみたいである。

 「100年安心」年金といえば、いまの制度が続くことに過ぎない。いまの制度で安心して暮らせる人が多数派でないのは誰でも知っている。「年金財政検証」の報告公表を8月に先送りするという。年金問題を参議院選挙の論争点にしたくない性根が露骨だ。

 近代日本においては、政党が政策中心に育たなかった。その原初的な政党論を原に見るし、それを後生大事に政党活動の柱としている自民党の筋金入りの程度の低さを指摘せざるをえない。

 1925年に、男子普通選挙権が実現した。1890年代末ごろから普通選挙権獲得運動が組織され、35年ほどかけて運動が結実した。なお、婦人参政権が実現したのは敗戦後1945年12月である。

 敗戦から少し過ぎたころ、欧米の見方は「日本人のデモクラシーは12歳程度」だというものであった。あれからどこまで来たか! 

 お酒博士・坂口謹一郎氏いわく、酒を造るのは醸造家だが、酒の文化を育てるのは国民大衆である。――政党を作って政治をするのは職業政治家であるが、その政治文化を育てるのは国民1人ひとりである。