論 考

青年部のころ

 わたしが20代半ばの1960年代後半には、「戦後民主主義の時代が終わった」という言葉が登場していた。

 西欧でデモクラシーが萌芽したのは17世紀である。日本においては敗戦によってデモクラシーとなった。

 デモクラシー先進国では300年、日本ではまだ20年程度の歴史である。終わったなどと語るのはピント外れも甚だしい、と誰でも考えるだろうが、このような気風が漂っていたのも事実なのである。

 職場では、労使対等といいつつも、職制の封建的態度は色濃く、とりわけ現場では、班長クラスとヒラの組合員同士でちょいちょいトラブルが発生した。

 職場委員は50人に1人の割合である。だいたいは、円満に選出されるのだが、たまには職場委員選出を巡って選挙がおこなわれた。元気な青年部の諸君が頭の固い班長クラスと決選投票をやる。

 執行部や大会代議員の選挙も当時は盛んだったが、職場委員選挙は珍しかった。デモクラシーになったからといって、人の頭のなかが直ぐに切り替わるものではない。選挙という「角を立てて」も、ささやかにデモクラシーを進める活動があったのは立派なものである。

 最近、かつてのわたしの仲間で、はじめて職場委員選挙で班長に挑戦して勝利したFくんが亡くなった。どちらかという温厚で気遣いする性格だったが、よく頑張ったなあ。

 われわれ2人は独身寮が嫌でおカネもないのにアパート暮らし。わたしがサントリーレッドと目刺しを持参し、彼が故郷から送ってきたジャガイモや玉ねぎでお菜を作り、ささやかな宴会をやった。

 話題はいつも、「デモクラシーは闘わずしては獲得できず」というところに落ち着いた。