週刊RO通信

1票の価値を凝視しよう

NO.1307

 参議院議員選挙が近づく。参議院議員選挙は選挙区と比例区の2つである。1983年から比例区制度が採用された。それまでは地方区と全国区の2つであった。全国区は残酷区とも呼ばれた。候補者は全国を駆け回らなければならないから、精神的・肉体的に大変である。比例区になっても同じだ。

 昔、わたしが属した組合の推薦候補者が激戦を制して当選した。喜んだのも束の間、無理がたたって3か月後に亡くなってがっかりした体験がある。

 参議院議員選挙は投票率が低い。過去最低は1995年7月23日の選挙で投票率44.52%である。過去最高は80年6月22日で75.54%である。こちらは衆参同日選挙であった。

 第二次大平正芳内閣で、自民党は党内抗争から、社会党提出の内閣不信任案に反大平派が加わり可決されてハプニング解散。初めての衆参同日選挙となった。選挙戦最中に大平氏が死去し、弔い選挙となり自民党が圧勝した。

 次の衆参同日選挙は86年7月6日投票であった。第二次中曽根康弘内閣で、中曽根氏は野党に対して解散しないと約束していたが、衆参定数是正が実現すると豹変して解散、自民党が304議席を獲得して圧勝した。

 前年7月17日に、最高裁が1票の格差問題を違憲と判決した。86年5月22日に公職選挙法改正案が可決成立した。野党は同日選に反対しており、中曽根氏はそれを断念していると思われたが、27日に閣議で6月2日に第105回臨時国会召集を決定。臨時国会冒頭に即日解散に打って出た。

 中曽根内閣は党内基盤が弱く、また先の総選挙で失った党勢を回復するべく時期を狙っていた。のちに中曽根氏は、1月から解散を狙っていた。「死んだふり」していたと語った。自民党は任期間近であった中曽根総裁の任期を1年延長して、選挙圧勝の功労! に報いたのである。政権維持のためには何でもやる、というのが自民党的伝統になっている。

 「民意を問う」といえば形はよろしいが、実は「民意を問うふり」をするというのが政権党の本音である。選挙でみそぎをうけたというように、以前の諸々の不祥事にはけりをつけたとするわけで、民意を問う理屈はなんでもよろしい。理屈はあとから貨車に積むともいう。

 自分が思うときに解散できない首相は力がない。逆にいえば、解散を自分の意のままに実行できるのが強い首相である。この政界的通念に拠って立つならば、はじめに解散ありきで、つまり選挙を自党有利に組み立てていくのが政権維持の鉄則である。

 国民のための内政・外交を推進するために政治家は選挙という手段で選ばれるのであるが、政権維持が大目的となると、国民からすれば目的と手段が転倒している。たまたま同日選を例に挙げたが、このように考えると、わが国のデモクラシーはまだまだ未熟である。だから国民が期待する政治がおこなわれないと言うしかない。

 さて、衆参ねじれ現象といわれた当時、「政局の安定」論や「決める政治」論が大声疾呼された。いまや、政局は安定し、決めてもらいたくないものが強引に決められる。これが、人々が求めていたものであるかどうか。いまや政府は、小才をもって中身のない答弁で時を浪費するのみだ。

 「100年安心」年金にしても、年金制度が維持できるとしても、国民生活の安心とは程遠い。大きな課題だから一挙バラ色にせよなどと言うつもりは全くないが、社会保障の論議など上面をなぜるのみで、根幹的議論がおこなわれていない。政治に本気が感じられるであろうか!

 ここは、わが1票の価値に着目せねばならない。政治に本気を吹き込むためには「政局を不安定」にしなければならない。政治権力を恣意的に行使できない事態になった時、ようやく政治家諸君が本気になる。政策を本気で論ずるようになる。いかなる選挙に際しても、「政局の安定」論を拒否しなければならない。「政局の安定」と「政治の安定」は全く異なる。

 当面、めざすべきは「政治の再生」のために、「政局の不安定」を発生させることに尽きる。政治に参加しない理屈を求めるような知性は痴性に過ぎない。政治に本気で参加しない痴性の1票は、1票の格差どころか、わが国の政治をポピュリズム方向へ加速し堕落させている根源である。