論 考

理性と理世

 無知というのは、知識・知恵がなくて愚かなことを言うが、無知の反対概念として知識・知恵を置くだけではしっくりこない。

 知識・知恵があっても、それが正しく活用されなければただ愚かだけではなく、社会的な危険性を伴うからだ。

 そこで、無知には理性を対置したい。

 理性は、感性的欲求に左右されず思慮的に行動する能力である。これは、人間と動物を区別するものとも理解されてきた。しかし、人はしばしば動物的行動をする。やはり、本質は動物なのだろう。

 語呂合わせみたいだが、理世という言葉がある。これ、世を治めるという意味である。理世撫民とすれば、世を治め、民をいたわるとなる。

 権力者たるものの権力行使の目的はこれである。政治権力獲得のために狂奔する連中を見ていると、理性も理世も感じにくい。つまり、乱世である。

 立場が目立つだけではなく、政治家は社会的影響力が大きい。これを弁えていない政治家は木から落としたいものである。

 猿は木から落ちても猿だが、政治家はただの人だという。ニーチェいわく、「あなたがた人間はかつて猿であった。そして、だがいまもなお人間は、いかなる猿以上に猿である」(『ツァラトゥストラはこう言った』)