論 考

党首討論すらできないとは

 日本が明治になったとき、英国では、自由党のグラッドストン(1809~1898)が政権を掌握し、保守党のディズレーリ(1804~1881)と議会で華々しい党首討論を繰り広げていた。

 ディズレーリはby the peopleに、グラッドストンはfor the peopleに基づいているのが特徴であった。ディズレーリはby、すなわち主権在民を押し出すのであるから、ヴィクトリア女王とそりが合わなかったようだ。

 グラッドストンは「小英国主義」と「護憲」が得意の主張、ディズレーリはじゃんじゃん海外雄飛の帝国主義者であった。

 「1ペニイの切手で大英帝国のどこへでも手紙が届く」。ヴィクトリア女王は、在位1837年から1910年まで64年間。いわば英国が烈日赫々の栄光時代である。産業革命の大驀進中である。諸国からは英国は「傲慢と得意」であるとして、不人気であった。

 その後1874年に、ディズレーリが政権奪取。1880年にはグラッドストンが政権を再奪取というわけで、「20年間、ウェストミンスターに巨人の戦いを展開した」と評された。

 1880年にグラッドストンが政権に就いた時の世評は、「グラッドストンの政策は栄光なきものだが、ディズレーリの帝国主義は危険である」というようなものであったらしい。

 朝日新聞社説(5/9)が、「国会改革論議 党首討論から始めよう」を読んで、このような歴史を思い浮かべた。党首討論にしり込みする首相では、とてもじゃないが巨人対決は望めません。