週刊RO通信

もっとましな政治を作る意思

NO.1296

 統一地方選挙が始まった。『アメリカの民主主義』を著したトクヴィル(18051859)は「地方自治体こそ自由な人民の力である」と説いた。いたるところ多士済々だ。多芸多才が集まるほど地域の表情は愉快になる。

 地方議員は、その自治体内部における、人々の日々の暮らしの円滑化のみがお仕事ではない。市町村は都道府県政とつながり、国政とつながる。もちろん周辺同士のお付き合いもある。

 わが自治体が少しでも多くの交付金をもらいたいという、陳情自治体化する意味ではない。たとえば辺野古新基地問題について、まともな見解を構築することも全国の自治体政治の課題である。

 国民意思に基づく国政を求める人は多い。それを実現させるためには、地方政治が国政に対する見識を持たねばならない。とすれば、地方議員は地方から国政を論ずることができる人でなければならない。

 以前、某県会議員に、議員立法の大切さを話したことがあるが、なんのことかという反応をされた経験がある。実際、地方議会で華々しい論議が展開される話は多くはない。質問・答弁でおしまい、ならば論議にならない。

 立候補が定数で、選挙がおこなわれないことが問題視される。議会が活性化していないわけである。議会が活性化していない大本は、市民が政治についてなんとも考えていないからである。

 大から小までの政治家も政治家だが、方々市民も市民である。現実政治の鏡には、政治家だけではなく市民も映っている。政治をする人と、その人を選出するだけの市民では政治に活気を生み出せない。

 1860年から65年まで、アメリカでは南北戦争(The Civil War)であった。南部の農園主たちがいままで同様の暮らしを維持するためには奴隷制度を撤廃されてはかなわない。地方問題は国の問題であった。

 奴隷解放が布告されたのは、63年1月1日。11月19日、ゲティスバーグ国有墓地の献納がおこなわれた。式典の最後に挨拶に立ったリンカーン大統領(18091865)が、しみじみと短く語った。

 ――ここで戦った人々が、これまでかくも立派に進めてきた未完の事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろ生きているわれわれ自身であります。

 これら戦死者の死を無駄に終らしめないように、われわれがここで堅く決心をするため、またこの国家をして、神のもとに、新しく自由を誕生させるために、そして、人民の、人民による、人民のための政治を地上から絶滅させないために、であります。――

 63年7月初めの3日間、ゲティスバーグの平原は激戦の修羅場になった。南軍・北軍の1/4が斃れた。64年7~8月が内乱の最悪期間であった。9月に入り、北軍がアトランタを占領、大勢を決した。

 11月に圧倒的支持で、リンカーンが大統領に再選された。再選祝賀の歓呼の歌に対する挨拶の辞で、彼は、「元来政府というものは非常に強力であるために、国民の自由を侵害するに至るほどの力のあるものでなければ重大な非常時局の際、みずから存立を維持していくだけの力を持ちえないのであろうか——これは深刻な問題でありました」と語った。

 南北戦争の大内乱にもかかわらず、人民の政治は、国家的選挙をおこなうことができた。「選挙の戦は人間性を現実に反映させるものだ」というリンカーンの信念が証明された。その安堵と喜びを表明したのであった。

 65年4月9日南北戦争終結。14日、リンカーンが暗殺された。

 現代の選挙を思うと、改革者を気取る政治家の低俗な咆哮と、その他政治家諸君が、それをコピペした中身空疎の小才と弁舌は隠しようもない。だからというべきか、あらゆる投票は一種の勝負事であるという皮肉もある。

 しかし、絶対君主制から立憲君主制へ、さらに民主制へと、先人たちが作ってきた道は、個人の尊厳に向かって、倦まず挫けず続けられてきた、これが歴史の核心というべきである。これを思い出したい。

 「多数派(全体)に迎合している限り少数派(個人)は無力である」という言葉を考えたい。もっとましな政治を作るのは誰か? 前進させるのも、停滞、後退させるのも、わたしの意思である。