週刊RO通信

国会議事堂が、じっと見る!

No.1200

 フランク・キャプラ監督の映画『スミス、都へ行く』(1939)の1場面。初めてワシントンDCへ到着した新米の上院議員スミスの目に国会議事堂が飛び込んでくる。彼は吸い寄せられるように議事堂へ向かうバスに乗った。

 議事堂に心打たれ、第16代大統領リンカーンの大理石坐像(高さ5.8m)に政治に対する敬虔な精神を高められた。スミスが自分の事務所へ辿りつくまで、関係者は5時間、いまかまだかと待ちぼうけを食わされた。

 なにをしていたのか?! と詰問する秘書に、スミスは「国会議事堂が、じっと見るので——」と語る。日本でも国会見学者は多い。スミスのような素朴・真摯な体験をする人が多いであろうか。わたしは感じない。

 「永田町の常識が世間の常識と違う」という表現は大昔からある。世間の政治的常識が低俗であれば、永田町は高尚であってほしい。しかし、現実は、世間的低俗をさらにさらに貶めるという批判を否定できないではないか!

 わが国の議会が開設されたのは1890年(明治23)である。前年2月11日、大日本帝国憲法が発布された。当時の先進国は、概ね19世紀いっぱいに議会が設けられたので、19世紀を「議会の世紀」とも呼ぶ。  民選議院設立建白書が提出された1874年から16年が過ぎていた。建白書は、副島種臣・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平らによるが、彼らは西郷隆盛と共に「征韓論政変」で下野したばかりであった。

 議会設立提唱が、いうならば政局変動的道具として使われたのは事実であろう。しかも、当時の議会は貴族院であって、議員は民選ではない。だから、立憲政治とはいうものの敗戦までは、翼賛的議会でしかなかった。

 いま、国会議事堂の主人公は議員(議会)である。議員は公選議員でなくてはならない。議員は、国民諸氏の強い意志と統制のなかにあらねばならない。議会=立法は、国民の信託を直接受けているからこその価値がある。

 国民が選挙で棄権しないようにしよう。自分の耳目で調べて、自分の責任で議員を選ぼうというのは議員公選の第一歩である。しかし、議員が暴言・妄言を繰り返すのを見ていると、清き1票はドブに投じられたみたいだ。

 議員はもちろん立法に関わるのであるが、同時に重要な政治的決定に関わらなければならない。ところが昨今、行政による議会軽視の気風が蔓延している。政府当局が議会で真っ当な答弁をしない。論外の事態である。

 議論の舞台が議会ではなくなっている。異常である。諮問会議が乱発されている。諮問会議は、名前の通り政府の諮問をうけて参考意見を述べるのであって、議会でない諮問会議で政治的決定がなされるのは議会無視だ。

 諮問会議が重用されるようになったのは、中曽根内閣の行政改革推進から目立つ。小泉内閣時代にも諮問会議優先の気風が高まった。当時、自民党内部からも立法軽視だという真っ当な批判が出されていた。

 わが国の政治はかつて派閥が牛耳った。カネも乱れ飛んだ。しかし、皮肉にも派閥が力を失うや、議会(立法)は内閣(行政)の後塵を拝するばかりではなく、言いたくはないが、内閣の手足に堕落してしまった。

 派閥が競い合うから、派閥は必然的に人材育成に注力した。それが派閥間のみならず政策で競い合う、政策の切磋琢磨という雰囲気を生み出してもいたが、いまや目立ちたがり屋の暴言・妄言競争という有様である。

 わたしが安倍政治を否定する最大の理由は、それが極め付け「不寛容」だからである。自分だけが正義だとする。社会には百人百様の正義がある。それを共存の次元に高めようと苦心するのがデモクラシー(=寛容)である。

 三権分立の最大の狙いは、最大の権力を行使する行政を暴走させないためである。安倍政治が自分の正義を振り回すのはデモクラシーを根元から否定しているのと等しい。なぜなら、政治権力に国民はただ従えというからだ。

 そこで、政権与党のデモクラシーにおける任務は、政権をただ支えればよろしいのではない。政府がデモクラシーに背馳して暴走するのを食い止めなければならない。ただ政権を支えるだけなら与党議員は単なる使い走りだ。

 わが国のデモクラシーはダメになったのではない。明治の議会開設以来127年、相変わらずデモクラシーのなんたるかを理解せず、デモクラシーを育てようという気概がない。情けないくらい未熟である。