週刊RO通信

いかに働くべきかを考えたい

NO.1294

 機械工場の班長で、人格、技量ともに優れて、人望のある先輩がおられた。先輩は50代半ば、わたしは22、23歳であったか。たまたま春闘時期だったと思うが、先輩が入社して以来の給与明細書をみせてもらった。

 給与明細書は手のひらサイズくらいだったと記憶する。当然ながら分厚いもので、きちんといくつかの束にして綴じこんでいる。白紙の裏面が備忘録にしてあった。仕事のことや、身の回りのことがメモしてあった。

 こちとら手取りの現金にしか関心がなく、しかも馴染みのお店のツケを支払えば手元にたいして残らないような、しまりのない調子である。日記はつけていたけれども、給与明細書的月記には圧倒された。

 まだ人事部員が総動員で毎月の賃金を封筒に詰め込んでいた。

 ある先輩は月給日に健保会館で鯖缶とコップ酒で調子が出て、ハシゴをやり、いい調子になってご帰館、こたつの上へ「よろしくたのむぜ」とかなんとか呟いて給料袋を放り投げた。たまたま細君は家計のやりくりに悩んでいたらしく、「どう、よろしくやればいいのよ」とばかり噛みついた。飢餓賃金という言葉が生きていた。

 先週3月13日に大手の賃上げ回答が出た。報道の論調は「もっと出せるはず」「これでは消費が盛り上がらない」「日本経済に貢献しない」というあたりである。組合員さんの反響が報じられないのでよくわからないけれど、文句たらたら不満の声が上がったようではないらしい。まあ、飢餓賃金というような言葉にはお目にかからない。

 賃金引上げを春一斉におこなうのは、参加組合挙って賃上げムードを高めようというにある。しかし、いまは、1970年代あたりまでの勢ぞろい春闘とは様変わりである。外から眺めていても、組合員自身の賃上げムードが盛り上がっているとはとても考えられない。

 原則論をいえば、組合員が自分の労働力の対価としての賃金を主張し、それに基づいて要求を構成しない限り、春闘が盛り上がるわけがない。どうも1990年代バブル崩壊後の沈滞ムードがそのまま残っているみたいだ。

 もちろん、いかに春闘全体が盛り上がっても、企業には、それぞれの事情があり、賃金を決定するのは、各労使の問題である。組合員が納得できる労使交渉であるならば、結果が世間的期待水準より低くても、その労使における交渉は十分に意味がある。

 目下は、大労組の回答が出た時点である。以降の中小組合の動向がどのような展開をみせるか。賃上げ数字も大事ではあるが、それぞれの組合が組合力をいかに構築できるか。それがもっとも大事である。

 ある中小企業で働く組合役員は、「組合役員経験者は会社の部長クラスよりも経営問題に精通している」と胸を張った。確かにそうかもしれない。部長クラスは経営機構の上意下達が最優先だから、自分の職分がおさおさ怠らないように処するので精一杯だ。

 一方、組合役員は職制上の立場とは別個に経営問題を考える。ちょっと勉強すれば、経営上の問題点を指摘するくらいお茶の子さいさいである。「こんな経営で大丈夫か」という気持ちがむくむく沸いても何ら不思議はない。かくして経営者以上に経営のあり方を厳密に考える傾向があるともいえる。

 そうすると、賃金決定に最優先するのは経営条件である。やや極端にいえば、1980年代までの組合役員が最大限重視したのは、当たり前だが、組合員の要求する賃金水準をいかに獲得するかにあった。

 かつて労使が共有した「生産性3原則」は、①生産性向上による雇用の増大と過渡的失業の防止、②生産性向上の手段に関する労使の協力・協議、③生産性向上成果の労使および消費者への公正な配分、であった。

 いまの労使が共有するのが第一に経営の舵取りにあるとすれば、必然的に春闘の性質自体が変わっている。加えて、経営側主導の「働き方改革」ということになれば、「組合らしさ」もまたわかりにくくなっている。

 すべての労働組合に提言したい。組合員の地平に立った「働き方」を全組合として取り組んでもらいたい。狭い次元での賃金交渉だけでなく、大きく、かつラジカル(根源的)に組合アイデンティティを模索しよう。