週刊RO通信

『怠ける権利』の、「怠ける」の意味

NO.1293

 P・ラファルグ(18421911)の『怠ける権利』(1880)は、著者38歳の作物である。その12年前、K・マルクス(18181883)の次女ラウラと結婚した。彼はフランス労働党を指導し、まさに大活躍の時期であった。

 1891年には投獄中であったが、リール選出の国会議員に当選した。マルクスが「やんちゃな奴だ」と語ったみたいな話も残っている。

 マルクスの親友として活躍したF・エンゲルス(18201895)の『空想より科学へ』(1880)は、超ベストセラーである。同書は、ラファルグがフランスの労働者のために依頼して書いてもらったもので、彼がフランス語に翻訳した。『怠ける権利』と同年の出版である。

 ラファルグは70歳目前に、ラウラと青酸を注射して心中した。体力・気力が衰えて知識人としての活躍ができなくなることを拒否した遺書が残された。当然ながら欧州中の社会主義活動家に痛烈な衝撃を与えた。

 今回は『怠ける権利』(田淵晋也訳)を紹介したい。田淵さんは、この本を「(いまの)時代を生きる生活者の立場から読んでほしい」と後書きされている。わたしも、そのつもりである。

 ラファルグは「労働を神聖なものに祭り上げるのは、神が呪いたもうたものを復権しようというわけだ」と痛罵している。

 フランスの1848年2月革命後、産業革命が本格化していた。しかし、まさにレッセフェール(自由放任)で、労働事情が知的荒廃と働く人々の精神・肉体をむしばんでいた。

 怠けるというのは、サボタージュやボイコットを呼びかけているのではない。ラファルグは、もちろん労働が社会を健全に構築していくために大切だということは百も承知である。

 働く人が、それも幼い子どもも含めて、精神的・肉体的・社会的に健全な生活どころか、人生が破壊されている実情を指弾した。「創造するたのしさがない労働は正しくない」という、働く人への深い同情の念が滲んでいる。

 フランスでは1789年に大革命が勃発した。

 哲学者F・ヘーゲル(17701831)は、「フランス革命は理性が一切のものに対する唯一の尺度」となった。人間が平等だという思想・正義の概念に立った。アナクサゴラス(前500頃~前428頃)が「理性が支配する」と主張したことが、2300年を経て実現したのは、「まことに燦然たる日の出」であったと、深い感動を吐露したのである。

 たしかにフランス革命は、「ブルジョワと労働者」が「聖職者と貴族」に対して闘い、勝利した。しかし1871年のパリコンミューンでは、労働者が1.7万人殺され、さらに2月革命では、「ブルジョワと聖職者」が「労働者」の意志を挫いた。かつて革命の核心であった労働者が、いまや「神聖な労働」というお説教のもとで、人間らしい生活どころではない。

 ブルジョワは資本主義と共に太ったが、労働者はまことに惨憺たる状態にある。かつては、「封建貴族対ブルジョワ(実働部隊は労働者)」の闘いだったが、いまは「搾取者対被搾取者」の関係になっている。

 ラファルグの舌鋒は正鵠を射ていた。また、F・エンゲルス『空想より科学へ』では、「有産者と無産者」「資本家と労働者」の対立が発生していること、生産における無政府状態になっていることを主張した。

 さて、ラファルグの「怠ける」ススメには、働く人に「瞑想」の習慣を身につけよとか、スペインには「休息は健康なり」という古来の名言がある。はるか昔、ローマのキケロ(前106~前43)は「金のために労働をくれてやるものは誰でも奴隷だ」と語ったじゃないかなどなど説き起こす。

 ――生産だけで消費を知らない。過剰労働と節約しか知らない――のは、「二重の狂気」ですよと忠告する。

 ラファルグが『怠ける権利』において主張したのは、――働く人が、キリスト教的偽善と資本主義の功利主義が結託している事態に沈没しているのは、君たち自身が、じっくりと考えないからですよ。本当に労働するたのしさを感得するには、各人が、自由に生きるとはどういうことかの地平から、頭を冷やして考えなさい――というにある。これ、いまも生きているではないか。