週刊RO通信

知とことば

NO.1292

 世の中はことばが氾濫している。ことばあってこその世の中である。ことばが大切に扱われているだろうか? ことばは何ごとかの意味を表現するものである。ことばの信頼が失われるならば社会の紐帯が崩れていく。

 まだことばを持たなかった時代の人間はどんな生活をしていただろうか? 人間はことばを通して思索するという理屈に照らせば、何も考えていなかったのだろうか? 孤独であって、しかも孤立していたに違いない。

 いつか人間が意思を持つようになり、自然のなかで生きる過酷さを認識し、自分と似た境遇の他者に働きかけるようになったのだろう。いかにして意思を交換しあったのだろうか? そして、ことばが発明された。

 12000年ほど前に農耕が発明されたというが、農耕の発明、発達とことばの関係は密接不可分であったに違いない。こんにちの社会生活の原点は農耕とことばの発明にあるとしても間違いではなかろう。

 ローマ帝国で、キリスト教を普及させたパウロ(64年頃殉教)は、新約聖書の成立に多大な功績を残した。信仰のないわたしにも興味を引くのは、ことばについてパウロが語っている部分である。

 「もし、その言葉の意味がわからないなら、語っている人にとっては、わたしは異邦人であり、語っている人も、わたしにとっては異邦人である」。(コリント人への第一の手紙)

 また、「知者などと思い上がるな」とか、「甘言」「美辞」を戒めている。(ローマ人への手紙)疑わしい知識をひけらかすとか、ことばを衒う、はたまた独断的主張を得々と語る人が少なくなかったのであろう。

 また、旧約聖書では、ソロモン王(在位 前961~前922)は、真理探求の誉れだけを要求した。「高ぶる目」「偽りをいう舌」を厳しく戒めた。「高ぶりはただ争いを生じる、勧告を聞く者は知恵がある」。(箴言)

 「2人は1人にまさる。彼らはその労苦によってよい報いを得るからである。すなわち、彼らが倒れるときには、その1人がその友を助け起こす」。(伝道の書)このことばは美しい。ことばの意義と人間社会の核心を突いている。

 ローマの詩人・オウィディウス(前43~後17頃)には、「忠実に勉強することは品性を柔和にし、猛々しさをなくす」ということばがある。啓蒙である。そして、知恵(単なる知識ではない)の食欲は果てしがない。

 もっと前の古代ギリシャ人で、ソクラテスの弟子であったクセノフォン(前430~前354頃)は、「日々に自分が一層よくなっていくのを感ずる」と、勉強する生活の喜び、愉快を書いた。(『ソクラテスの思い出』)

 再び新約聖書に戻る。「知恵の正しいことは、その働きが証明する」(マタイによる福音書)という短いことばも登場する。ほとんど理屈で証明しなくても首肯できるような気がする。

 これらを真理というべきかどうかは横に置くとして、大昔から大切なことはすでに語られている。人の生涯は短いけれど、価値あることばは時代を超えて残る。西欧の精神が箴言を大切に扱う意味がわかる。

 ただし、倫理なき知恵の危険性にも目を向けねばならない。ネロ(37~68)の母アグリッピナ(15~49)のオツムは卓抜していたが、目的のためには手段を選ばずの典型人であった。挙句、暴君ネロに殺された。

 「息子は帝位に就くためならば母を殺してもよい」と語ったそうだ。カマキリの雄でさえ、雌に食べられるのから逃げるらしいから、まことにあっぱれな賢母というべきか。いや、倫理抜きの知恵の危なさというべきだ。

 さてさて、翻って警鐘を鳴らさねばならない。ほかでもない、日本の政界事情は危険が溢れている。国会の実情は機能不全をきたしている。政府与党の統領たる人が、他者のことばに耳を傾けない。

 人それぞれに多様な意見を持つ。意見の多様性こそが人類社会を発展させてきたという歴史的事実をほとんどご存知ないようだ。品性未熟である。なおかつそれ以上に品性を顧みて磨こうという気配が見られない。

 自分の蒙を啓こうとしない人がおられるのは仕方がない。しかし、その人が国政の中枢にあって権力を恣意的に行使するとなれば、了解するわけにはいかない。知とことばの悪用をもっぱら事とする人を退場させねばならない。