週刊RO通信

権力の鎧に対する堂々たる民意

NO.1291

 沖縄県知事の仲井眞弘多氏(当時)が、病気入院から退院して公務復帰する直前の2013年2月2日に、仲井眞・安倍会談がおこなわれた。その年末12月27日、仲井眞氏が辺野古新基地承認の記者会見をおこなった。

 氏は非常に緊張した表情で会見に臨んだ。辺野古の埋め立て承認は、先の知事選挙では氏が反対の公約を掲げて当選したのであるから、覚悟と決意をもった会見であることは間違いなかった。

 氏は、3月21日に沖縄防衛局が申請した辺野古埋め立て申請書について認可した理由を述べた。

 まず氏は、自分が沖縄振興策と米軍基地負担の軽減の2つに取り組んできたが、安倍氏との会談で、安倍氏が従来のどの政府よりも沖縄に対する思いが強いと感じたと述べた。(これを信じた人がおられただろうか)

 沖縄の基地負担軽減については、安倍氏がアメリカと交渉をまとめるという強い姿勢を示した。とりわけ、普天間基地の5年以内の運用停止については、最大課題であり、両者が認識を共有していると語った。

 日米地位協定の改定を(交渉)する。オスプレイの分散移転は喫緊の課題である(ことも共有している)。

 いわば、仲井眞氏は従来の原則的反対の立場であったが、安倍氏がある程度の条件を飲んだから、条件交渉に転換したというわけである。

 年が変わり14年1月9日に臨時県議会が開催されて、埋め立て承認に関する質疑がおこなわれた。しかし、県会議員が納得するには程遠い。1月10日、県議会は、埋め立て承認は仲井眞氏の知事としての公約違反であるとして辞任決議を可決した。

 県議会の構成は、与党21名、野党21名、中立3名であった。決議採択には、議員の2/3出席と、出席議員の3/4の賛成を必要とする厳しい条件であるが、中立の3名が辞任決議に賛成したので可決された。仲井眞氏は辞任しなかったが、その年の11月知事選挙で翁長雄志氏(故人)に敗れた。

 かくして政府は、仲井眞知事に辺野古埋め立て条件に、普天間基地について5年以内の運用停止を約束した。その起点は2014年2月18日に開催された(沖縄県)負担軽減推進会議とした。つまり、今年の2月18日が普天間基地の運用停止期限であった。運用停止の兆しもない。

 日米行政協定は1952年2月に締結された。主として日米安全保障条約に定めた米軍の日本駐留に関するもので、基地などの施設使用、経費の分担、裁判管轄権などについて定めたものである。1960年の安保改定に伴い、日米地位協定に改定されて、今日に至っている。

 地位協定に関しては、しばしば問題が指摘されている。

 米軍基地騒音訴訟の確定賠償額は335億円に及ぶ。地位協定では、米側責任のみの場合は米75%・日本25%の負担分担、双方責任の場合は折半である。ところが米側は支払いに応じず、150億円以上日本が肩代わりしている。さらに300億円以上日本の負担が発生する見込みである。

 安倍・仲井眞会談以降に日米間で地位協定に関する交渉がおこなわれた形跡はない。明治の政治家が不平等条約改正に示した根性のかけらもない。

 いままた辺野古埋め立て地の軟弱地盤が問題である。業者の内部報告書によれば、7.7万本の杭を打たねばならず、しかも海面から90mの深さに及ぶという。杭打ち実績は70mまでしかない。まさに杭倒れだ。

 作家の大城立裕氏(1925生)が「沖縄県民は(日本への)同化から異化へ歴史的大成長」したと語る。1960年代の祖国復帰一辺倒を超えて、1980年代以降、沖縄文化(精神)が育っている。95年の米兵による少女乱暴事件がきっかけで基地縮小・地位協定改定の県民投票に90%が賛成した。

 2014年翁長雄志知事誕生以来、沖縄アイデンティティが育った。県民は(本土人による)構造的沖縄差別を認識していると洞察する。昨24日の県民投票結果は、大城氏の立論と重なっているであろう。

 安倍氏はじめ基地の負担を減らす気迫などまったく見当たらない。方々は明治のご威光にあやかりたいだけで、本当の力が伴わない。沖縄にはエートスがある。しかし、本土にあるのはパトスのみか!