日々道楽

細野くんの徒弟時代

 「政権与党でないと政策を実現できない」という言葉は昔からしばしば顔を出す。そんなことは当たり前である。

 しかし、それが絶対的であれば野党の存在理由はゼロだ。

 なぜ野党が必要なのか。政権与党といえども、つねに圧倒的国民の賛同を得られる政策を提起できるわけではない。

 与党にせよ、野党にせよ、政策の根本は誰かが押し出している見解が形になるわけであって、いかに優れた人といえども、その見解はたくさんの人々の真剣真摯な討議を経なければ、本物にならない。

 いろんな見解をもつ人々が集まって討議する。

 各政党は、社会を見つめる視点をある程度共有する人々が集まって組織される。たとえば、資本主義社会において、経営者と労働者はその立場が異なる。企業経営をなにより優先するか、あるいは、徒手空拳の人々の生活を重視するか。これは、「階級」などという言葉を使わなくても大きく異なることは、誰でも理解している。

 自民党は国民政党を標榜するが、その国民なるものの本質が財界だということも誰でも知っている。

 そもそも産業革命と同時に大きく育った資本主義は、放置すれば自由放任のハチャメチャな猛威を揮う。いわく、功利主義が全面的に押し出されるからだ。

 だから、頭数からしてももっとも多い無産者の立場を踏まえた政党がなんとしても大事である。その立場を押し出したのが福祉社会である。

 放置すれば猛威を揮う資本主義を上手に統御して、国民生活をきちんと作り上げるためには、わが国においては、自民党以外の政党が性根を入れて活躍しなければならない。

 財界に拠って立つ政党、無産者に拠って立つ政党と分立しても、天敵関係になるのではない。両者のめざすところは、きちんとした国民生活(contents)である。そこで両者が得意の領域から見解を立て、討議を深めて、それに至る道筋(process)を開拓する。

 あっちへふらふらこっちへよろよろする政治家は、要するに自分が拠って立つものが何なのかわかっていないのである。

 拠って立つものが何かわからないような政治家は、政策論議(process)に関わる資格がまだない。ゲーテの『ウィルヘルムマイスターの徒弟時代』でも熟読玩味してもらいたいものだ。