週刊RO通信

『三十年戦史』と『ヴァレンシュタイン』

NO.1283

 ベートーヴェン(17701827)の交響曲第9番(1824)を聞きつつ、第4楽章の合唱の作詞者がシラー(17591805)だということを思い出した。今回の標題は、いずれもシラーの著作である。

 シラーはドイツの詩人・劇作家でつとに有名である。デビューの戯曲は『群盗』(1781)で、シラー22歳。社会悪と家庭の不和を描き、社会の変革を叫んだ作品で、ピカレスク、とりわけ犯罪小説の名作である。

 ピカレスクは、スペイン語でならず者とか悪党を意味する。一般に下層階級出身の主人公が活躍する。16世紀にはじまり、17世紀に流行した。シラーはゲーテ(17491832)と共に疾風怒濤期の牽引車であった。

 三十年戦争は、1618年から48年にわたるドイツを舞台にした宗教と政治が絡んだ戦争であった。シラーは1790年夏から『三十年戦史』を書いた。『三十年戦史』が書き上げられたのは1793年であった。カント(17241804)の哲学もおおいに研究したそうだ。

 三十年戦争は、ハプスブルク家とブルボン家、新教徒と旧教徒が入り乱れた戦争であったが、ドイツ国内の分裂を招き、ドイツは決定的に荒廃した。当時のドイツ人口が1/3まで減ったというのである。

 三十年にわたる戦争の1つひとつの素材としての事件を整理して関係づけ、筋道を立てるのが容易ではなかったと思われる。それのみならず、(わたしは渡邊格司訳を読んだのであるが)まさに雄渾な文章である。

 シラーがエーナ大学で三十年戦史を講義した際、学生が胸躍らせてわんさ押し寄せたというエピソードも伝えられている。

 その後書かれたのが詩劇『ヴァレンシュタイン』(179899 濱川祥枝訳)である。ヴァレンシュタイン(15831634)は三十年戦争の中心人物で、ボヘミア(チェコの中心部)出身の傭兵隊長である。

 当時の戦争はほとんどが傭兵によって戦われた。傭兵は雇傭契約によって給与をもらって戦闘に励むのである。軍隊には商人や農夫、その家族などがぞろぞろくっついて移動した。

 ベトナム戦争当時にも、南ベトナムの兵士は家族を連れて移動していたというから、戦争なのであるが、戦争が生活そのものである。傭兵隊長、つまり軍の指揮官は戦争請負業者、つまりは戦争経営者ともいえる。

 ヴァレンシュタインは、新教徒軍を破り、一時は皇帝の信任が厚かったが、やがてその権勢と野心(疑惑)が、皇帝の猜疑心を招き、暗殺されてしまう。

 シラーが描いた『ヴァレンシュタイン』の出来事は、三十年戦争さなかの1634年2月の3日間である。これが読む人をして、あたかも30年間の出来事を見る思いがすると言わしめたという。確かに見事な筆致である。

 単純に読むと、一種の英雄の悲劇物語であるが、そうではない。シラーの狙いはなんといっても人間性を抉り出すことにあったと思われる。

 たとえば竜騎兵は歌う。――世界から自由は消え失せ、あるのは主人と僕(しもべ)だけ。卑怯な人種のいるところ、幅をきかすは嘘と小細工。恐れず死と向き合うは、自由人たる兵士のみ。――

 現実社会の腐敗した事情が垣間見える。確かなものは、自分の仕事(戦い)に対する報酬だけだ。しかし、軍隊の内部もまた、腐敗に支配される。

 合唱団は歌う。――高い栄誉を手に入れるには、うんと苦労もする。安穏に暮らすならまともな職業に就いて平和に暮らすがいい。俺は自由に生き、自由のままに死にたい。――

 兵士が熱中しているのは、自分のポケットに詰め込むことだけだ。ときは欧州のルネサンス時代、人々が自由に生きたいと意識するようになっていた。しかし、現実の暮らしは酷薄である。八方ふさがりの自由である。

 破壊と殺戮に基盤をおいた栄誉なるものの末路が、いみじくもヴァレンシュタインにおいて表現された。単なる英雄の悲劇ではない示唆がある。

 「戦争が戦争を育てるのです」「戦争が戦争を生む事態を解決しない限り平和はありません」というセリフがさりげないが、心を揺さぶる。

 知性というものは、意志に奉仕する。人間社会に対する思索なくして、意志の真っ当さなくしては、知性はしばしば有害な結果を招く。