週刊RO通信

官僚の正体見たり、反デモクラシー!

No.1199

 官僚が優秀であるから、政治家が素頓狂だろうが、頭の毛が何本か不足していようが、政治は間違いのない歩みをする。――これ、昔からわが社会にある典型的思い込みの1つである。

 官僚は成績優秀で頭の回転がよろしい。知識があって、知恵がある。この知恵というのが格別大事で、物事の理非曲直を弁え、適切に処理する能力である。ただし、悪知恵が働くとなると始末が悪い。

 なにしろ、元をただせば法律を作るのは官僚諸君である。法律を運用するのも官僚諸君である。くれぐれも手前味噌、ご都合主義のインチキ運用などしてはならない。これ、官僚倫理であるが、知恵の割に倫理が育たない。

 昔に遡るほど、行政の能率が厳しく問われた。親方日の丸で、収益構造を気にしなくてよろしいから、民間企業に比較すると事業効率・能率が悪い。もっと行政能率を引き上げろという批判であった。

 しかし、辻清明教授(1913~1991)は、官僚制度における問題を行政能率論に閉じ込めてはいけないと早くから警鐘を鳴らされた。(『日本官僚制の研究』)その指摘の核心は今日も、いや、今日こそ注目しなければならない。

 第一に「官尊民卑」の気風である。これは、歴史的に根が深い。明治維新は市民革命ではなく、武家階級内部のクーデターであった。明治維新直後の官員は、中央が81%、地方が74%を旧士族が占めていた。

 もちろん明治維新の文明開化を率先推進したのは士族出身者が多かった。封建時代において士族以外の農工商人は、勉強しているのが圧倒的に少ない。有閑階級の士族は、よく勉強していた知識人でもあった。

 「士族の商法」などと揶揄する言葉があったけれども、それは大間違い。大方の資本家・経営者・学者は士族出身者であり、たまにその他階層から刻苦勉励して頭角を現した人がおられたというのが妥当だ。

 問題は、明治維新後の各界でリーダーシップを発揮した人々が封建遺制を引きずったことにある。徳川幕府260余年間、士農工商のてっぺんで、その他を睥睨してきた士族的気風が容易に改まらないのである。

 その一端は、たとえば「おいこら警察」という言葉に現れている。異色の弁護士・山﨑今朝弥(1877~1954)は、著作で『地震・憲兵・火事・巡査』という、庶民からすれば痛快な批判をやってのけた。

 とくに関東大震災(1923.9.1)後、官のシャッポを被った憲兵・巡査連中がしでかした乱暴狼藉は枚挙にいとまがない。「理が非でも、都合があるから何処までも無理を通そう」とする、と山﨑は指弾している。

 位階勲等を少し見るだけでわかる。官こそすべて、官こそオールマイティ、官こそ日本、かの天皇制なるものの本質は実は封建遺制による日本的官僚制そのものである。その特徴は全体主義・権威主義・議会政治否認に尽きる。

 天皇への忠誠を絶対と掲げつつ、天皇の政治的発言を避けた。天皇は絶対君主であるが、それは建前で、官僚が好き放題に政治をやった。そして、いよいよツケ払いが来たら、上の命令で動いただけだとシラを切る。

 戦前天皇制下の官僚制は、かくして徹底的な無責任体制であった。責任をもつ者が誰でもない体制において、官対民の官は、まことにおいしい世界である。これが潰されたのは、戦後デモクラシー制度によってである。

 官尊民卑が否定され、官員(政治家も)は国民の公僕という次第になった。まさにコペルニクス的転回、官員は、天から地へまっさかさまに転落したと思っただろう。しかしながら、名を捨てても実をとるという手がある。   まして、わがデモクラシーの民におかれては「of the people・by the people・for the people」のofとbyが致命的に希薄である。対して現実政治を掌握するのは官僚だから、日本的官僚制度は官僚のサンクチュアリである。

 政府・与党の領袖がらみの不祥事は、社会通念からすればほぼ真っ黒である。たまたま領袖が全体主義・権威主義・議会制度無視の性根であるから、戦前に憧れる官僚諸君とはぴったりウマが合う。官僚は付き合いやすい。

 目下、政官シンジケートにおいては、議会無視も、指鹿為馬も、憲法無視の法解釈もなんでもありだ。このような国を法治国家とはいわない。もちろんデモクラシーともいわない。日本の常識は世界の非常識である。