日々道楽

愚劣から愚劣が生まれる

アダム・スミス(1723~1790)の『諸国民の富』(国富論)は、1749年から1776年まで、27年間にわたって研究され叙述されたそうだ。

 各人が、自分自身の生活状態をよりよくしようと努力するのは自然だから、人々が自由であり、社会の安定が保たれるならば、必然的に社会は繁栄する、という考えが基盤である。

 しかし、すでにスミスも指摘しているが、政治家が定める法が愚劣なために、社会の自然な繁栄が妨害される次第だ。

 外国人に、わが国の人手不足を補ってもらうのであれば、助っ人を頼むには、それ相応の礼儀というものがある。

 頭数さえ揃えれば、後は野となれ山となれというのが政府与党の提案だ。なぜ、このような無責任がまかり通るのか。

 すでに、国内において、働く人を頭数で勘定しているからである。

 働いて価値を生み出すことが、いかに素晴らしいか。それをきっちり踏まえて善戦健闘している方々が少なくないが、政財界の諸君が、本気でそれを認識しないと、わが社会はどこまでも長期低落を続けるしかない。

 愚劣な法を生み出すのは政治家が愚劣だからである。