週刊RO通信

やはり、いまは危機の時代

NO.1276

 第一次世界大戦終結100周年記念式典が、11月11日、パリから北東80kmにあるコンピエーニュの森で開催された。1918年のその日、連合国とドイツが休戦協定を締結したところである。

 メルケル独首相と、マクロン仏大統領が出席し、「欧州と平和のための独仏和解の価値をこの地で再確認した」という新たな銘板が刻まれた。

 その隣には、第一次世界大戦終了のときに作られた銘板があって、「今日、1918年11月11日、隷属させようとした自由な人々によって敗北を喫し、ドイツ帝国の邪悪な野望は打ち砕かれた」と刻まれている。

 第一次世界大戦が始まったのは1914年7月28日であった。オーストリアがセルビアに宣戦布告した。6月28日、オーストリア皇太子夫妻がサラエヴォでセルビア青年に暗殺されたのが発端である。

 フランスがドイツからの中立要請を拒否し、8月3日にはドイツがフランスに宣戦布告した。4日、イギリスがドイツに宣戦布告した。戦場は拡大するばかりで全欧州が戦場となり、4年にわたって戦乱が続いた。

 1918年11月3日にはキール軍港でドイツ水兵が出撃命令に対して抗議デモ、ドイツ国内に革命が拡大した。9日、ベルリンにも革命発生、皇帝ヴィルヘルム2世が退位、オランダへ亡命し、社会民主党が主導する人民代表委員会が政権を掌握して戦争終結へ向かった。

 第一次世界大戦まで、外交は外交官の、戦争は軍人の仕事とみるのが社会的風潮であった。しかし、今度は牧歌的な戦闘ではなく、総力戦の様相を呈したから、国際政治に対する関心が高まったのである。

 イギリスを中心に「秘密条約反対」運動が開始した。一般人の「あなた任せ」が、結局は大戦争につながった。この考え方は、第一次世界大戦が生んだ1つの有益な教訓であった。

 欧州人は深刻な思索を繰り返した。P.ヴァレリー(1871~1945)は、ヨーロッパ精神とは「人間の闘争心が戦争によって破壊として表現されるのに対して、創造によって表現される(=平和)」ものではないのか、と平和を求める大切さを痛切に表現した。しかし、第二次世界大戦が1939年9月3日に勃発した。先の大戦から21年しか過ぎていなかった。

 1955年7月9日に発表された「ラッセル・アインシュタイン宣言」では、核戦争の危機を懸念して、「私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然と認めるように勧告する」とアピールした。

 冷戦のさなか、さらにB.ラッセル(1872~1970)は「人々が人類の死滅の見通しに対して無関心になっているとは思わないが、画一化された生活において、(国家権力という)巨大な没個人的な機械によって意識がマヒしているのではないか」と警鐘を鳴らした。そして、「専門家たちは権力側からの圧力に屈しやすいし、権力主流派の圧力に弱い」ことも指摘した。

 実際、今日の極めて危ない事情は、政治権力の集中化と、それを十分に暴きえない各種メディアである。テレビではコメンテーターという名のもとに、およそ居酒屋の酔漢論議のごとき見解で大っぴらに電波ジャックしている。

 トランプ氏が、自分と周辺に対する調査に対抗して、司法長官を更迭したり、極度に報道に対する敵愾心を燃やす行為は、アメリカ国内問題だとして静観できるようなものではない。国内で不利になれば、強硬な外交を益々強硬にするのが目に見えるからである。

 マクロン仏大統領が、11月6日、中ロのみならず米国に対しても自衛しなければならないとして、「真の欧州軍」の必要性を語ったのは、米国パワーからの脱却を考えているのであって、その方法の是非はともかくも、いまの世界の危機について深刻な認識をもつからに他ならない。

 18世紀後半、T.ペイン(1737~1809)が、「課税がおこなわれるのは戦争を遂行するためではなく、税金を取り続けるために戦争がおこなわれる」のであると喝破した。国家権力に対する冷徹な視点がいま不可欠である。

 いまの内外の危機が新たな惨禍を作り出さないためには、政治的スローガンや、ドグマに乗せられない「個人」が1人でも多く必要である。