論 考

自己責任に名を借りた性根を考える

 わたしはテレビを見ないが、ワイドショーあたりで、シリアからようやく帰った安田さんバッシングを盛んにやっている(ことが報じられている)。

 いわく、「自己責任論」、いわく「政府にご迷惑をかけた」などだ。

 かつて湾岸戦争の際、イラクの人質になったJAL社員の話を聞いたことがある。彼は政府が救出してくれるなんて全然期待していなかったと明言した。

 誰に助けを期待したか、あるいは絶望していたのか、とわたしが尋ねたら、氏は「会社が助けてくれると思っていた」と語った。

 米・英・仏・独などの方々もゲスト(人質)になっていたが、彼らは、国が救出してくれると信じていたそうだ。

 安田さんは1人1社の記者である。大手報道会社の記者が取材しない対象を取材に行った。研究活動で他人がやらない研究に打ち込むのも同じだ。

 迷惑をかけた説は、一見妥当な視点に見えるが、しかし、安田さんのジャーナリスト精神を他人がけなす権利はない。

 もし、取材が成功していて、アッという内容であったとすれば、たぶん、いまバッシングしている諸君は「感動をいただきました」とやるのだろうか。

 取材というものは、危険性がないケースであっても、発見する目的からすれば、やはり「冒険」である。

 わたしは、ささやかなインタビューなどで取材をやるが、気持ちは冒険である。冒険心を大切にしなくちゃあならない。

 何よりも、ワイドショーの諸君が訳知り顔をして、政府にゴマスリ的論調をおおいに開陳しているようにみえて、わたしには、その姑息さが嫌らしく感じられる。