週刊RO通信

第一次世界大戦終了から100年

NO.1270

 第一次世界大戦が開始したのが1914年7月28日、頑強に戦ったドイツが降伏して終了したのが18年11月11日。今年は第一次世界大戦終了から100年に当たる。(E・H・カー『危機の二十年』を読んで考えた)

 オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、サラエヴォでセルビア青年に暗殺されたのが大戦の導火線であった。オーストリア・ハンガリーがセルビアに宣戦布告した当時、世界大戦というようになると考えた人は少ない。

 19世紀末の欧州は、英仏独露など列強がそれぞれの世界戦略をかかえて、軍事同盟による均衡を維持していた。普仏戦争(1870~1871)後、ドイツは国家統一し、イギリスと並ぶ経済力を誇示しつつあった。

 フランスはリベンジにメラメラ燃えており、ロシアの南下戦略でバルカン半島は「火薬庫」と呼ばれていた。列強帝国主義国は「秘密」軍事同盟で勢力均衡の事態にあった。各国はひたすら軍事拡張に精出していた。

 外交は外交専門家の仕事、戦争は軍人の仕事というわけで、大衆はいわばのほほんとしていた。だから開戦当時、戦火が全欧州に拡大するとは大方の人が考えてもいなかった。

 戦争は全欧州に及び、軍人7千万人が動員され、戦闘員9百万人、非戦闘員7百万人、合計1.6千万人が亡くなった。人々はいつの間にか破壊・殺戮能力が飛躍的に高まった軍事力で、さらに総力戦の渦中に投げ込まれた。

 「戦争への嫌悪は、知性ある人だけがもっている高雅な嗜好である」(バックル)という気風でもある。それまでの戦争はいわば「やあやあ、遠からん者は音にも聞け」的な戦闘のイメージが支配していたのである。

 戦後、イギリスをはじめ各国で「秘密条約反対」の運動と同時に、外交・軍事問題を当局や専門家に委ねるのではなく、学問的に研究する気運が高まったのでもある。人々は戦争のバカらしさを身に染みたはずであった。

 しかし1938年には、「われわれは世界中到る所で人間性の危機に巻き込まれている——驚くべき巨大な力、すなわちハリケーンのごとき力がいまや解き放たれている」(英国イーデン外相)と言わしめる事態になった。

 自動車王フォードは「経済的に正しいことは道義的にも正しい。よい経済と道義的によい行動との間には対立はない」と、まことにあっけらかんと語っていた。自分たちの利潤がよければすべてよし、の楽観論である。

 個人の利益追求は共同体の利益に通じ、共同体の利益追求は個人の利益に通ずる、という。人は、地代、利潤、賃金で暮らしを立てるが、前述の思想は賃金で暮らす人々とは無縁の支配階層のイデオロギーである。

 百歩譲っても、これは、新しい市場がつねに期待できて、パイがつねに拡大し、パイの分配が巧妙にできるという前提である。しかし、資本主義において「見えざる手」が社会的公正を実現してくれるわけではない。

 とりわけ利潤追求に熱心な経済的支配層が社会的公正論を実践しないことは歴史が証明している。まして、いまや、世界は供給過剰だ。世界各国で、国内の経済格差が大きな政治的問題として立ちはだかる。

 外国に対して力がない小国は、支配層が圧倒的低所得層を黙らせるために強権政治を展開する。権力維持の視点からすれば、それがもっとも手っ取り早いからである。先進国がそれを無視するのは甚だしく無責任だ。なぜなら先進国は自由貿易の名において、世界中の資源を自由に消費してきたからだ。

 ところがここへきて、自由貿易を高唱してきた超大国が、国内問題に正面から向き合おうとせず、国際経済の自由の基盤を平然と覆す暴挙に出ている。小国は自由貿易を拒否しようにもできないが、自由貿易の秩序の中心にいるはずの超大国が自由貿易を拒否するのだから世界経済は間違いなく混乱する。

 第一次世界大戦後も、各国が競って競争相手の繁栄を排除しようと画策した。いま、超大国が自国第一主義を露骨に推進するような事態は、第二次世界大戦直前と極めてよく似た剣呑な事態に立ち至っている。

 すべからく政治・経済的行動は、道義と権力の調和のもとにおこなわれなければならない。トランプのアメリカは歴史を100年以上逆流させようとする。他の大国に求められるのは、トランプ的流れを最大限阻止して、第二次世界大戦前のような事態にさせないことに尽きる。