週刊RO通信

資本主義の危機?!

NO.1267

 ざっと500万年前に生まれた人類が、100万年前に火や道具を使うようになった。12,000年前に農耕を発明した。これによって人口が一挙5倍に増えたそうだ。大変な発明であった。

 資本主義は英国で1760年ごろから産業革命と共に発達した。資本が産業と結びついて、産業を発達させた。現代は資本主義・産業革命が登場して250年を超えた時点にある。

 資本主義の最初の危機は、資本主義草創期にある。有産階級は儲けることに目覚め、それが最大の関心事である。労働者の働き方や生活にはまったく関心がない。産業自体が「超ブラック」であった。労働問題だらけである。労働者は激しく厳しく抵抗した。

 第一次世界大戦後の一時期を資本主義の全般的危機と呼んだ。1917年のロシア革命の衝撃によって、世界の資本主義体制そのものが、(思想的)危機に陥った状態と、その時期を全般的危機と呼んだ。

 第二次世界大戦は、欧州を惨たんたる廃墟と化したが、戦場にならなかった米国が世界経済の主導権を握る。世界の資本主義は米国を中心として息を吹き返した。

 1960年代に入ると、「資本主義は変わったのか」という熱い討論が、ガルブレイス(1908~2006)・都留重人(1912~2005)らによって繰り広げられた。資本主義は本当によい制度なのかどうかという論点である。

 例え話である。三種類の墨を吹くイカがいる。マーシャル(1812~1924)は黒い墨(資本主義は発展する)、マルクス(1818~1924)は赤い墨(資本主義は倒れる)、ケインズ(1883~1946)はピンクの墨(資本主義はいつも支えていないと倒れる)というわけである。

 資本主義に不況、恐慌はつきものであるが、第二次世界大戦後は、米国経済の好調から恐慌が過去のものになったという楽観論が台頭した。

 ところで資本主義が生き残る条件は不変である。景気の維持は有効需要に依拠する。資本は絶えず大きくすることを本性とする。利潤が経済活動推進の動機であり結果である。

 だから資本主義においては、つねに「pressure to sell」(何がなんでも売らねばならぬ)という軛から逃れられない。ただし、作ったモノが売れるという保証もない。資本主義は、いつも見えざる圧力下にある。

 資本主義が変わったということは、資本主義が不況を克服できるということと等しい。それをめざすのであれば、利潤の軛から解放されねばならない。つまり、資本が社会化できなければならない。

 しかし利潤は私的資本の支配下にある。国の歳出自体が私的資本の都合に大サービスする。法人税にはつねに大きな下げ圧力がかかっている事情では、資本の社会化などは単なる理屈に過ぎない。

 (私的)資本主義化で不況を克服するためには、「高利潤なくして好景気なし」という枠組みから逃げられない。だから、完全雇用という国民的利益と、私的資本の利益は未来永劫に対立し続ける関係である。

 利潤が経済活動推進の動機であるから、「経済的愛国心」はない、と考えるほうが妥当である。政治が財界の愛国心を獲得するためには、経済活動の妨害はできない。そもそもやる気があるかどうか疑わしい。

 どんなにダメな福祉国家でも、福祉国家をめざすこと自体は、利潤を社会化しようとするから、大きな意味で、資本主義を変える(支える)ことに通ずるのだが、果たしてそのような政財界の見識があるかどうか疑問である。

 さて、いまは、前述のような資本主義論争の枠組みでは「間に合わない」事態へと刻々進んでいる。「持続性を無視した経済活動は、もはや反人類的である」と宣言したのは1970年であった。

 72年の人間環境宣言で、「産業革命の遂行に重要な修正を施した」とワルトハイム国連事務総長(当時)が語ってから46年。いまや、「地球の復讐」を考えないわけにはいかない。

 資本主義のお仕舞が先か、化石燃料の枯渇が先か――という時代がとっくに訪れていることを忘れたくはない。