週刊RO通信

自民党は堅気に戻れるか

NO.1264

 たまたま自民党が国会で大きな数を要しているから、自民党総裁になれば首相になる。世間の視線を多少なりとも意識する政治家であれば、総裁3選に手を挙げるべきでないと自省自戒するが、この人には自分の世間しかない。

 自民党の良識的な面が、昨今は皆目存在感がない。もともとそんなものだったという見方もできるが、ここまで酷くはなかったというのが、わたしの感じ方である。この人とあの人のAAコンビが自民党を堕落させた。

 あの人は6月24日に「自民党支持者は10~30代の新聞を読まない世代」だと語った。新聞は、あの人の持論だとおちょくるが、年寄りの居酒屋談義とは違うのである。

 ナチスは、宣伝の対象者を3つに区分していた。① 批判力のないナチ信奉者、② ナチ同調者、③ 追従する大衆――である。つまりは自分たちに服従する人々を徹底して取り込もうとしたのである。

 ヒトラーは、個人を3タイプに分けていた。a 情報のすべてを信ずる人、b 情報のなんにも信じない人、c 情報を考えて判断する人。ヒトラーが狙うのはひたすらaタイプである。

 つまり、ナチは、あまねく人々に話しかけて大きな合意を求めるなんてことは初めから念頭にない。なんとなればナチは民主主義を徹底的に嫌悪し、フランス革命(1789)以前の封建社会を志向したのである。

 自分たちに黙って服従する人々だけが、ナチが獲得したい大衆である。各人の能力・資質・性格・理解度などはどうでもよろしい。服従するかぎりにおいてしか、ナチは人々に期待していないのである。

 党員についても同様である。政党の強さは党員各人の独立した知性にあるものではなく、党に対する規律ある忠誠心のみであった。諸手を挙げて追従する人しか認めない。その精神的排他性がナチ党の核心的特徴である。

 あの人が新聞を読まない世代を持ち上げたのは、前述の①②③、aタイプを取り込むというナチ作戦を表明したのである。たぶん、あの人はヒトラー教信者で『Mein Kampf』をよく学んでいるであろう。

 あの人は失言・暴言・暴論が多く、世間的にはバカ扱いされているが、それを嘲笑してすむ問題ではない。政府・与党を、あの人とこの人が結託して動かしているのであって、その政治的見識・姿勢を見過ごしてはならない。

 あの人は、封建時代から続く旧家で、明治以来の政治家の家系である。民主主義思想を歓迎していないとしても不思議ではない。単に人格が頓珍漢なのではない。権力の維持こそが最大の目的だと考えているのは疑いない。

 ナチの大衆に対する見方を2つ挙げよう。「大衆は論理的立証に納得するのではなく、アバウトにしか理解できない」。「大衆が理解するのは遅く、忘れるのは早い」。この間の政権運営はまさしく、この大衆観が基盤である。

 野党が法案の問題点を具体的に追及するが、答弁は紋切型、建前、極めてアバウトである。モリ・カケ騒動など、時間が過ぎれば大衆は憤りを忘れるだろう。野次でも飛ばしつつ審議空疎で時間を稼ぐという次第だ。

 ナチの言葉は罵詈雑言が多かった。自分たちの意向に沿わぬ人たちに対しては下司な言葉をジャンジャン使った。人格高潔の人でも下司な言葉をぶつけられると、泥んこをぶつけられたのと等しい効果が出る。

 「ルンペン野郎」「ポン引き」「浮浪者」「娼婦」「嘘つき」などの言葉をナチは好んで使った。自民党の陣笠連中がしばしば人格を疑うような発言をするが、これまたナチの先例に倣っているように見える。

 ナチは人々を服従させるために宣伝を駆使した。彼らの言葉に論理性や倫理性を求めても意味がない。なにしろ彼らはアウトローであった。言葉などその場限り、必要であればいくらでも嘘をつく。

 「カポネは暴力をビジネスにした。ヒトラーは暴力を政治にした」のであった。両者には明確な共通点がある。日本語ならば「YAKUZA」である。果たして自民党が、これ以上身を持ち崩さないであろうか。

 心配である。ナチをテキストにして発言し行動しているのだから、この人とあの人が牛耳っている限りは、足を洗って出直す可能性が少ない。一旦、徒党になったら、堅気の政党に戻るのは容易ではない。これが真実だ。