論 考

知識人の性根

 自由主義者・清沢冽(1890~1945)の『暗黒日記』を読む。もう、なんども読んだ。氏は国際協調派であり、国家主義に反対の人である。

 敗戦が近い1944年後半になると、たびたび、革命が起こるのではないかと心配する記述がある。

 人々は飢えており、電車の座席のシートを切り取って持ち帰るような荒れた事情である。庶民の不満と憤りが爆発するのではないかと見たのだろう。

 氏は、革命が起これば、それは反動的なもので、国内が破壊と混乱になるだろうと推測する。なんども読んで、なんども奇妙に感ずるのがこの部分である。

 革命など起こらなくても、十分に国内は破壊されており、混乱もまた十分であった。氏が庶民と比較すれば遥かに裕福だったということは横へ置くとしても、横暴な権力(がやってきたこと)に対する憤りよりも、革命を恐れるというところに、わたしは、氏に代表される当時の知識人の限界を感ずる。

 自由主義だけではいかん。デモクラットたらねばならない。

 わたしの敗戦記念日翌日のささやかな決心である。