論 考

無知な連中

 わたしは1960年代初め、高校生のときバイクの免許を取った。とても嬉しい。メグロ、ポインター、ベンリイなどで走り回っていた。

 これは社会人になってからも続いた。23歳だったか、某日バイクに乗っていて居眠りした。ほんの一瞬だったのかも知れないが、これは危ない。酒精と戯れる機会も増えていたので、免許証を更新しなかった。

 その後、年下の仲間がバイクの新車に乗っている。一大技術進歩したバイクである。乗ってみて加速性の凄さに驚いた。もちろん昨今のバイクの性能の凄さは、まったく予想つかなかったが。いま、バイクの性能いっぱいに乗りこなせるライダーは多くはなかろう。

 政治における「権力」なるものは、バイクの高性能どころではない。善政の意味すら考えず、人権の価値など思いもよらず、ただ選挙で当選しただけの連中が巨大権力のアクセルをふかす。

 本人の理解が及ばない「玩具」を手にしたガキ連が何をするかわからない。

 人間社会がいつまでも「平凡な人間が立派にやっていける」ようにならないのは、政治をやってはならないガキ連中が政治家になっているからである。

 本当の政治家は「権力の恐ろしさ・おぞましさ」を知っているのであります。