記述することはものごとの明快・明晰さを確保するために大事な方法である。
記録は、他者が見て、検討・研究して学んで、進歩に貢献させられるもので、人類の進歩は先人の記録に負うところが極めて大きい。
政府の公文書管理は、このような原則から外れている。
つまり、政府がやっていることが明快・明晰ではない。進歩に貢献させられないことをやっているという理屈になる。
安倍氏の指示による公文書の「適正な管理」とは、破棄することであろう。あるいは、存在しても存在しない工夫をせよということだ。
まことに、程度の悪い連中である。