週刊RO通信

「目まい」について

NO.1254

 吉野源三郎さん(1899~1981)の『君たちはどう生きるか』(1937初出)を読み返してみた。少し前、復刊ブームが報じられたので、読まれた方も少なくないだろう。いまの日本的状況を考えるにもおおいに有益だと思う。

 山本有三(1887~1974)編纂『日本少国民文庫』全16巻の1つとして書かれたので、いわゆる子供向け「人生読本」だという建前であるが、そんな単純なものではない。

 同書が出版された1937年に、31年から始めた満州事変が、ついに日中戦争に突入した。国民を戦時体制に総動員するために、政府が「国体の本義」を発行し、さらに41年には「臣民の道」を発行した。

 当時の「人生読本」は、修身である。「国家主義」の基盤に立って、天皇への絶対的忠誠を掲げ、親に孝行、上に従順、勤勉に働けという文脈で、結構なお説教をするものが主流である。

 『君たちはどう生きるか』には、もちろん直接的表現で「国家主義」を批判する文章はないし、民主主義の基盤である「個人主義」という言葉も一切登場しないのであるが、堂々たる「個人主義」の理論が述べられている。

 だから、「人生読本」と建前するにしても、きっちり異端の人生読本であった。いわく、社会学の基本を踏まえ、科学的・民主的にして「自由な生き方のすすめ」が書かれている。よくまあ検閲を逃れたものだと唸るしかない。

 同書の核心中の核心は冒頭から述べられる。中学1年生の本田潤一くんは、叔父さんと銀座のデパートに行く。デパートの屋上から、潤一君は街を見下ろしている。そして身震いするような心地になる。

 数えきれない屋根の下に、何十万人、何百万人もの人が生きている。人々は、何をして、何を考えているのだろう。「目まい」である。考えたこともない想念が湧いた。潤一君の精神が突如衝撃をうけたのである。

 潤一君は、銀座通りを自転車で走っている少年を注視する。少年は自分が潤一君に見られているとは知らない。そうだ、つい先ほど、僕と叔父さんが通ったところだ。僕たちを見ていた人がいたかもしれない。

 ――コペル君は妙な気持でした。見ている自分、見られている自分、それに気がついている自分、自分で自分を遠く眺めている自分、いろいろな自分が、コペル君の心の中で重なり合って、コペル君は、ふうっと目まいに似たものを感じました。――

 やわらかな、やさしい語り口なのであるが、これがいわゆる哲学的入り口である。デカルト流「我思う、ゆえに我在り」。「何を考えているかはともかくとして、考えている自分」が、そこにいて、「考えている自分を見つめている自分」がいる。

 帰りの車で、潤一君は語る。――人間て、叔父さん、ほんとに分子だね。僕、今日、ほんとにそう思っちゃった。――

 「目まい」から「気づき」が生まれた。子供は概して自分中心で世間を見る。いや、子供に限らない。多くの大人がきっちり自分中心主義だ。生物学で環境世界という言葉がある。動物にとって自分に直接関係することだけが世界である。多くの大人が自分勝手な環境世界を作っているではないか。

 叔父さんは、潤一君が、自分中心に世界が動いているという子供的思考を飛び出した。自分が社会を作っている1分子だと気づいたのは、天動説から地動説に変わったのと同じだ。コペルニクス的転回だという次第で、縮めて、潤一君をコペル君と呼ぶようにしたのである。

 1945年8月15日正午の、いわゆる玉音放送を聞いて、多くの日本人が虚脱感に陥った。「目まい」を感じた人も少なくなかっただろうが、結果から見ると、人々は虚脱感から「我に返った」。何しろ食べねばならなかった。

 敗戦直後に飢餓と戦った先輩諸兄姉を批判できない。しかし、あれから70余年、食べられるようになったのに、「目まい」も「気づき」もなく、「我に返った」飢餓時代的心情のままだとしたら——相変わらず天動説だ。

 安倍氏やトランプ氏らは、あえて言うが、動物が自分のための環境世界を拡大しようとする獰猛な権力主義者にしか見えない。敗戦後、「我に返った」地点から、もう一度「我に返って」、「目まい」を起こさねばならない。