週刊RO通信

昔のと、いまの自民党

NO.1253

 こんなにえげつない自民党は見たことない。という指摘を聞くことが多い。たしかに真っ当な答弁が1つもできない(やらない)首相を担いで権力にしがみつくさまには、言論を以て生業とする人の美学のカケラもない。

 では、昔の自民党はいかに立派であったか? 過去には金看板や肩書が誇らしげにそそり立つけれども、当時はいかなる姿であったか? いまも忘れられない出来事を振り返ってみたい。

 1960年11月20日、第29回総選挙がおこなわれた。安保騒動で岸信介が辞任後、池田勇人が首相になってからの選挙である。結果は自民が300議席を獲得して、いわゆる1と1/2体制を守った。

 池田は、かの所得倍増計画を掲げて「わたしはウソを申しません」というテレビスポットをじゃんじゃん流した。この選挙は金権・派閥選挙で名を残した。いわく2当1落。2千万円なら当選、1千万円なら落選といった。

 実弾はどこから出たか。財界が8億円を献金した。自民党に7.7億円、社会・民社党に3千万円贈った。この際の法定選挙費用は全国平均81万円である。自民党候補はその25倍の実弾をばら撒いた次第だ。

 1964年7月10日に、池田勇人総裁の任期満了に伴う自民党総裁選挙がおこなわれた。候補者は池田勇人・佐藤栄作・藤山愛一郎の3人である。投票総数475票、第一回投票で1/2の238票獲得すれば当選である。

 池田派は第1回投票で過半数をめざす戦略、佐藤派は第2回投票に持ち込み藤山派と2、3位連合を組んで逆転当選をめざす戦略であった。新聞は約1か月間、選挙戦いや暗闘を報道し続けた。暗闘の中身は不明だ!

 総裁選で猛烈に実弾(現金)が乱れ飛んだ。実弾総額は30~50億円くらいではないかと推測されたが、もちろん藪の中だ。どなた様が実弾提供したのか。これまたわからないがおカネのない人ではない。GDPが当時は30兆円でいまは555兆円である。当時の50億円は大した数字である。

 この際、「生一本」「ニッカ」「サントリー」「オールドパー」なる隠語が飛び交った。生一本は所属派閥の指示通り。ニッカは2派から、サントリーは3派から、オールドパーはなんでもあり、なんでもいただく。

 池田側はトロール漁法、佐藤派は一本釣りだのと称して、陣笠連中の抱え込みに猛然と走った。人が人を漁る、釣るというのはなんともはや——

 いよいよ投票となっても、無記名投票であるから、ちょっとしたサイドビジネス(!)として、稼ぐ気になればオールドパーする。派閥の締め付けがあっても、ニッカ・サントリーするのだから、自分党の面目躍如ではある。

 総裁選挙は池田が第1回投票で242票獲得して勝利した。佐藤160票・藤山72票・他1票。第3次池田内閣を組織したが、池田はその後病を得て10月21日に内閣総辞職した。11月9日、佐藤内閣が発足する。

 こんな話は政治談議本では一種の英雄豪傑の武勇伝的に物語られるのである。しかし、熟慮するまでもなく、なんともふざけた話で、たまたま国会に議席を得た連中が国民不在の親分選び博打をやっている。

 最近は派閥の親分が昔のようには目立たないし、大金が動いたというような醜聞は聞かないけれど、選ばれた自民党総裁が国民の意思とは無関係に首相の座に就く。その構造がある限り、多くの国民から首相が忌避されていても、自民党諸君は歯牙にもかけないというわけである。

 党内事情、すなわち自分事情(議員でいられること)というのが、自民党諸君の行動様式を規定している。「党内事情→内閣事情→政府事情→国家事情」というご都合主義の構図が最近ほどくっきりと見えたことはない。

 たしかに、いまの安倍氏のような程度の低い首相が7年にわたって政権を担っているのは現代世界の不思議の1つである。政治における言葉の信頼を破壊したことが、程度が低い最大の理由である。

 それを諌め、真っ当に国会で議論できるようにしようと行動を起こす自民党議員が存在しないのも程度が低すぎる。かつて小泉純一郎氏が「自民党をぶっ壊す」と威勢よく登場したが、なるほど、たしかに自民党は壊れている。

 思うに、権力の座に居座っていれば最上という自民党的DNAは、昔から一貫して変わっていないのである。