週刊RO通信

独裁政治は日本人の堕落である

NO.1240

 この数年、常にわたしの脳裏に大きな座を占めているのは、日本人的アパシー(政治的無関心)である。ただし、さまざまの資料を眺めていても、その実態・実像というものが、容易には理解できない。

 地球に登場した人類は、はじめは採取生活をしていたが、12,000年前に農耕を開始した。採取生活では自分単独が好都合だったかもしれないが、農耕生活となれば共同するほうが合理的であろう。

 だからムラを作った。やがて長い時間をかけてそれが国に育ったのであろう。ムラを作った当時は「わしがムラだ」という気風であったと思う。いわば個人と集団は分かちがたく結びついていたはずである。

 原始的社会では政治の支配者と被支配者の区別がさほど明確ではなかったと考えても間違いではなかろう。こんなことを考えて思い出すのが民俗学者・宮本常一(1907~1981)『忘れられた日本人』の印象的な場面である。

 宮本さんが、1950年ごろ対馬の村で伝えられている古文書の拝借をお願いした際、その件も含めて2日間にわたって村人の協議が続けられているのを目撃した。その辺りでは500年前後、なにごとも村人が納得できるまで話し合う歴史が続いていたというのである。

 これは「わしがムラだ」という気風を残していたのであり、政治の支配者と被支配者の関係がない。嘘もインチキも忍び込む隙間がない。なによりも理屈以前にデモクラシーの精神が実践されていたことが素晴らしい。

 ささやかなエピソードだけれど、人々の間に何らの区別なく自然に話し合いがおこなわれるという事実は清々しさをも感じさせる。

 「和を以て貴しと為す」(聖徳太子の憲法17条の第1条)というのが日本人的文化として古くからあったというが、とりわけ日本的伝統に愛着を感ずる自民党議員諸君が、これを看過・軽視するのは奇妙である。

 イタリアはフランス帝国領であったが、そのサルデーニャ王国の首相であったカミッロ・カヴール(1810~1861)が、1861年に統一してイタリア王国を築いた。彼は、民主政治・議会政治を熱烈に希求した。

 彼は「最悪の議院といえども最良の次の間に優る」、つまり「議会が閉会している間ほど(自分の)無力を感ずるときはない」と語った。話し合いが徹底されることこそがデモクラシー精神を具現すると確信していたのである。

 第一次世界大戦後の欧州各国は、国民主権と議院内閣制を全面的に押し出した。なかでも1919年成立したドイツ共和国のワイマール憲法は近代民主主義憲法の典型とされた。大戦後の反省と自戒から生み出された理想の国家の政治の在り方を表現したとされる。

 しかし、さまざま乱暴な手練手管を駆使したナチスによって、1933年独裁政治が打ち立てられ、ワイマール憲法は骨抜きにされてしまった。

 イタリアもドイツも、政治において絶対的な権力支配者を担ぎだすことによって、デモクラシーをかなぐり捨て、やがて内外に乱暴狼藉を働く国家に陥落してしまったのである。

 いずれの政治家であっても、正義による政治を掲げる。然り、政治的価値は正義が貫かれるべきである。ただし、正義の具体的内容というものは、議会における1つひとつの話し合いによって構築されねばならない。

 人間は、自分の「こうありたい」という願いを持つが、本人が正しいと思っていても客観的には、独善(悪意)と見られる。さらには独善を承知の上で善意を装うことが少なくない。これが汚職の根本である。

 それらを未然に防止するには、議会における話し合いの品質が何よりも重要である。ところが1人の権力者、あるいはそれを押し立てる政党が話し合いの品質を劣化させる挙に出ると独裁政治の真っただ中に嵌る。

 喫緊の2年間、安倍氏をいただく自民党による議会の運営が、デモクラシー精神に則っていると総括することは不可能である。そのような政党が憲法改正を語る資格を持つとすれば、民主政治を破壊する意味でしかない。

 数に依存して、話し合いを足蹴にするような権力支配政治は悪しき独裁政治の典型である。「わしがムラだ」というと原始的かもしれないが、国民各位の「脱アパシー」を切に願う次第である。