いろんな方々のお話を伺いつつ考えた。
わたしは大昔に、絶対元気と相対元気という元気の理屈を考え出したのであるが、まさに、今日においてもこの分類は揺るがない。
いま、わが社会にはさまざまな差別がある。わたしは、理屈だけで考えても居心地がよろしくない。
みんなが、居心地がよろしくないと思えば、状況を変える力が出る。
しかし、どうもそうならないのは、たとえば正規になるにせよ、非正規になるにせよ、本人の努力がそうさせたというメリトクラシーの思想が支配しているからである。
メリトクラシーが支配する社会は、相対元気が幅を効かせているのであって、人々は常に他者との相対的関係において、収まり具合がよろしくない。
そのような社会だから状況を変えようという力が出にくい。なんとなれば、相対的関係において一喜一憂したり、いまの相対的位置を維持することに関心が集中してしまうからである。
旅で出会った方々が、相対元気ではなく、自分の絶対的生き方を確立する方向(絶対元気)を眺めておられるのを知ると、そこに、未来への一筋の明かりを感じる次第であります。